木川田氏にごめんなさい

  • 2011/05/03(火) 03:02:04


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2011/5/1 5/2 

~夢?~

※身内の者がにこにこ笑いながら話しかけてくる

何を話しているのかわからない  多分、もう死んでる

何故か身内の顔が黄色い  絵の具で顔を塗ったように黄色い

「もう貴方は死んでるのですよ? 東京へ行きなさい 東京へ

私は身内の者に そう説得した

     (意識消滅)


~声?~

※ 「引き継いだのではない・・・・・したのだ・・・」 


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最初の夢は個人的なコトですので、書くことはないと思ったのですが、気になる箇所があるので書いておきます。

黄色い顔
東京


この二点。


次の「引き継いだのではない」という声は、誰かわかりました。


木川田 一隆(きがわだ かずたか、男性、明治32年(1899年)8月23日~昭和52年(1977年)3月4日)

「トクモトは徳本峠とダムと東電、そして原発、だから諏訪 2011/04/30(土) 03:47:17 」で書いた東京電力歴代社長福島第一原発についての記事。

”次いで木川田一隆氏が東京電力社長となる。彼が社長時代の1967年9月29日に青木氏の決定事項を引き継いで1号機が着工されている。”

この箇所がお気に召さないのか、訂正に来られたようです。

木川田一隆氏をwikiから抜粋してみます。

”1963年、経済同友会代表幹事に就任すると、所信で「協調的競争」を提唱し、人間尊重の理念をベースにしながら、産業界が自主的に適切な競争環境を整備すべきであると主張した。その具体的な動きとして、1966年から民間版の産業調整会議として活動を開始した「産業問題研究会」(略称産研)が挙げられる単純な自由放任主義では産業界を取り巻く諸問題は解決できず、政府の介入を招くとの危機感から発足した産研は、一時は名だたる主要財界人を網羅、「財界参謀本部」などとも呼ばれ、八幡製鐵・富士製鐵の合併実現(新日本製鐵発足)などに影響力を及ぼした。また日中国交回復実現にも力を入れ、1971年には右翼の妨害も意に介さず、風邪を押して訪中、周恩来首相と会談した。

1971年東電社長を水野久男に譲り、会長となる(~1976年)。1974年電気料金値上げに対する不払い運動に見舞われたが、参議院議員市川房枝の要請を受け、企業としての政治献金取り止めの英断を下した。現実の中で理想の実現にたゆまぬ努力を続けた木川田の姿勢に、ある米国紙は「Business Statesman」と称えた。”


なるほど・・・ポリシーを持った誠実な方だと。いい加減なことを書いてすみませんでした。>木川田さん

そう言えば、この方も福島出身だったんやな・・・

木川田一隆Kazutaka_kigawada_20110503030128.gif



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