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私にとっては驚愕の事実 その2

  • 2011/04/07(木) 18:49:29



はい、ここで見えたのが


隼神社元祇園梛(なぎ)神社。

「玄松子の記録」より
http://www.genbu.net/data/yamasiro/hayabusa_title.htm

元祇園梛神社抜粋します。

”梛神社(元祇園社)
 素戔嗚尊を主神とし、宇賀御魂命、伊弉冉命,誉田別尊などを配祀する。
 貞観十一年(八七六)京都に疫病が流行したとき、牛頭天王(素戔嗚尊)の神霊を播磨国広峰から勧請して鎮疫祭を行ったが、このときその神輿を梛の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであるという。後に神霊を八坂(今の八坂神社)に遷祀したとき当地の住人は花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏して神輿を八坂に送った。これがのちの祇園会の起源といわれる。また、当社は八坂神社の古址にあたるので元祇園社と呼ばれる。維新の頃は田圃の中の一小祠であったが、明治七年(一八七四)と昭和四年(一九二九)の復興を経て現在に至った。
 境内の隼神社は延喜の制度の大社で、大正七年(一九一八)蛸薬師坊城からこの地に移祀された。梛神社とともに厄除け、疫病払いの神である。”

”梛神社は、清和天皇貞観十一年京都に疫病が流行った時、
悪疫を祓い病を鎮めるために牛頭天王の神霊を播磨国広峰より勧請したもの。
当地に数万本の梛の木があったため梛神社という。”


何故、ビジョンでは田圃の中の小さな祠だったのか、そしてこんもりした林を背にして4つの縦に細長い建物が見えたのか、これでわかりました。
4つの建物とは、素戔嗚尊を主神とし、宇賀御魂命、伊弉冉命,誉田別尊などを配祀するとあるように、四体の御祭神を表していたのですね。
こんもりした林は、ご神木である梛の木だったのでしょう。



私はここまで理解し、本当に嬉しくてなりませんでした。
四神の中央、ここがクロスする場所、大事な場所かも知れないと想像し、喜々として次の計画を練ろうとしておりました。

おまけに、あるところから情報を得て、「京都時代MAP」なるものを購入するため、ネットで手続き。注文。
kyotojidaimap.jpgこれ。

しかし、心配事もありました。相変わらずわからないのが、何故京都ばかり行くのか?という疑問が拭えなかったのと、自分如きが赴いて何ができる?と訝しがっている自身を感じていたからです。

「まあ、東京の裏は京都だもんね・・・」「昔はここが都だった・・・」

「やっと見つけた 2011/04/07(木) 03:44:08」をUPした後、そんなことをだらだら考えながら、更に検索を続けておりました。
そして、ある方のブログに辿り着きました。

「徒然史跡巡り」管理人cladeさん より
http://terameguri.blog46.fc2.com/

「元祇園 梛神社」の記事
http://terameguri.blog46.fc2.com/blog-entry-227.html

驚愕しました。

元祇園梛神社は平安初期の清和天皇の時代、貞観11年に播磨国より牛頭天皇様の御神霊を勧請して創建された神社。

貞観時代は疫神の時代だと言われていたそうで、様々な災害、疫病、飢饉、氾濫、噴火、海賊襲来と、次々に災難に見舞われた暗黒の時代でした。
だからでしょうか、石清水八幡宮・吉田神社・御香宮神社・諸刃神社・崇道神社・醍醐寺・大覚寺など建設ラッシュ。この災厄を逃れるためには神頼みしかなかった時代だったのでしょう。

貞観11年には何があったか・・・

元祇園梛神社の設立もそうですが・・・
私はこれを知って、う~んと机に突っ伏してしまいました。恐ろしくて・・・


貞観11年の出来事(869)
新羅海賊再来襲。
陸奥国府を大津波が襲う。1000人以上死亡
貞明親王(後の陽成天皇)立太子
6月14日 神泉苑で当事の国と同じ66本の鉾を立てて再び御霊会を行う
肥後(熊本)で大水害。6群が水没する。
崇道神社建立


陸奥国とは現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県と、秋田県北東の鹿角市と小坂町です。M8.3以上の地震が襲い、大津波にも大被害を受けました。
あの3月11日の東北関東大震災とほぼ同じ場所の震源となっています。

貞観地震
陸奥国
貞観

こんな記事も見つけました。

「福島第1原発:東電「貞観地震」の解析軽視」~毎日jpより~
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110327k0000m040036000c.html

貞観時代の再来。その変化はとうに始まっているのですね。



皆様はこの夢、内容をどう思われますか?
今、そんな時代に入っていると思われますか?

「京都の真ん中」という意味は、こんな大変な意味を含んでいたのだと思うと、何故もっと早く真相を究明しようとしなかったのか悔やまれます。わずか20日にも満たない月日で震災は起こってしまったのですから・・・

最近の「徒然史跡巡り」の記事を読んでみると、管理人cladeさんは宮城出身の方らしく、ブログを5月に閉鎖予定にし、京都から宮城へと旅だって行かれました。自分にも何か出来ると信念を持ち、行動を起こされました。素晴らしい方です。


歴史は繰り返すとはよく言ったものですね。
京都へ繰り返し訪問するのは、裏の都だからでしょう。東京は表の都。
平安京は400年続いた日本の中心でした。現代は東京都が中心となる。
裏から支えなければ表は支えられない。片一方だけでは傾いて崩れるのが道理。
東の京都が中心となって何年過ぎた?
もうそろそろ某かの変動が起こるのかも知れない。きっかけは東北関東大震災。
いや、もっと前からでしょう。霧島噴火もそのうちのひとつ。
それは京都は平安京が辿ってきた型。
これが陰陽。・・・なのかも知れません。

裏側の歴史は今、表に出ようとしているのかも知れません。
たった一人の微弱な想いでも、支える力にプラスされるなら、私は喜んで京都を巡ります。西から東へパワーを送りたいと思います。



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