智慧とはなんぞや?

  • 2011/02/17(木) 16:02:34

ここのところ忙しくしておりました。

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2011/2/16?

~真夜中に肉眼で見た半透明の物体~

赤十字マークの入った白い袋  非常袋??

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2011/2/17

~夢?~

※ある女性がのし袋の表書きに字を書いて欲しいと筆を持ってきた

「いいですよ」と返事し、白黒水引きに手を添え、筆を立てて聞く

「何て書けばよろしい?」


「霊 長 ○?」


う~ん、上手く書けない 最後の字・・・なんて意味? 旧字体で読めない


「あら? 御霊前、御仏前が普通ではないですか?」と聞く


女性はいなくなっていた・・・

     (意識消滅)



~丹光?~

※真っ白の電気的光が走る  ジジジ!ビビビ!と音が聞こえるようだ

※頭上から金色の光が差し込む  その真ん中に激しく輝く金色の光
この二つの光はすぐに消え去った


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17日の「霊 長 ○?」の漢字。

ええ、探しましたよ。探したけど無いんです。
あえてコレと言えば、「慧」(え・けい)を難しくしたような字でしたね。

「彗」の部分を上下二段に書いたような漢字。・・・うん、似てる・・・


はて、「慧」とは何やろか?


またまた探ってみましたところ、難しすぎて理解不能w


般若
―wikiより抜粋―

智と慧の区別

”この慧と智の区別について、慧遠は『大乗義章』の中で、「智」を照見、「慧」を解了とし、「智」は一般に世間で真理といわれるものを知ること、「慧」は出世間的な最も高く勝れた第一義の事実を照見し、それに体達するものであるとする。

さらに『華厳経』の註釈である『華厳経探玄記』を書いた賢首(げんじゅ)大師法蔵(643年 - 712年)によれば、智を第十度、慧を第六度にあてて、この中の「智」は因果、順逆、染浄などの差別を決断する作用であるといって「智」を決断作用とし、「慧」は諸法の仮実、体性の有無などを照達することであるとして、それを疑心を断じ、しかも事物そのものを体験的に知ることであるとしている。

このように智 (jJaana) と慧 (prajJaa) を区別することは、仏教のインドにおける教えの中に、すでに説かれていたことでもあった。たとえば、仏教教学の基礎であるといわれているアビダルマでは「慧」 (prajJaa) を心の作用として、それは見られる対象を分別し、それが何であるかを決定し、疑心を断じて、そのものを本当に理解する心の働きであるとして、それを「簡択」(けんちゃく、簡はえらぶこと・択はきまりをつけること)の作用をもつ心のはたらきとする。この慧によって決断することを「智」 (jJaana) という。”



まー、アレだすな、もっと賢くなれよとの御教えでしょう。
名は体を表すと言うけれど、まったく的はずれな御仁もいらっさるようで。
つまり私なんよねw 私の名前によく似てるんだわ(爆)
そんなとこに気付いた自分が情けない今日この頃・・・・


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