平将門と妙見菩薩(1)

  • 2010/09/10(金) 00:54:21


我がブログも随分長い間頑張ってるなと感心します(自己自賛)

「中央構造線と怨霊 2010/09/08(水) 01:31:00」 (参照)

・・・で書いた自己調査報告(笑)ですが、まあ、自分なりの見解ということでお許し下さいな。流しし読みして下さい(笑)



見つけましたよ。鳴門の寺院。
最初は寺院の数の多さに泣きべそかきそうでしたけどね。直感に従いました。


「鳴門 2010/08/29(日) 11:18:26 」 (参照)
「中央構造線と怨霊 2010/09/08(水) 01:31:00」 (参照)


鳴門市撫養町にある「蓮花寺」「宝珠寺」です。この寺院は隣り合わせにあって、並んでいます。 「鳴門 2010/08/29(日) 11:18:26 」の記事では、寺院名を並べてふたつ書きました(名称は不明でしたけど)

naruto_myoukennzan.jpg
(地図1)

地図をよく見てみますと、なるほど、二つの寺院が並んでる。
赤丸の上が「蓮花寺」と下が「宝珠寺」です。

何故、ここを選んだかと言うと、やはり四国中央構造線の最東端だからです。

naruto_cyuuoukouzousen.jpg
(地図2)

撫養町辺りを中央構造線に合わせて見ますとわかります。
赤丸が撫養町の寺院があるところ、青い線が構造線。
ここから淡路島をスレスレで避け、和歌山へと構造線は走ります。

おわかりですか? 構造線ど真ん中なんですよ。


話はこれだけでは終わりません。

近辺を見て下さい。すぐ近くに”あるもの”が見つかります。


妙見山。


妙見神社。


おわかりですか? 平将門に繋がる妙見菩薩様なんですよ。あの平将門が愛してやまない妙見菩薩様なんですよ。・・・

即ち、「妙見神社」へ来い  ということなんです(やっぱり神社だ・・・)
あの寺院の名称は、ただの目印だったに過ぎないのです。


平将門(wikiより抜粋)

~平将門一族の伝説 ~
”遅くとも建武4年(1337年)には成立したと見られている軍記物語『源平闘諍録』以降、将門は日本将軍(ひのもとしょうぐん)平親王と称したという伝説が成立している。この伝説によると将門は、妙見菩薩の御利生で八カ国を打ち随えたが、凶悪の心をかまえ神慮に憚らず帝威にも恐れなかったため、妙見菩薩は将門の伯父にして養子(実際には叔父)の平良文の元に渡ったとされる。この伝説は、良文の子孫を称する千葉一族、特に伝説上将門の本拠地とされた相馬御厨を領した相馬氏に伝えられた。” 



妙見山を探ってみてわかりました。
あの岡山あたりまで伸びた赤い線、途中で引き返し兵庫県あたりで立ち止まり、やがて徳島・鳴門へやって来た・・・

「妙見山」は一度辿り着いた岡山県が日本では最多なんですね。納得しました。

では、何故わざわざ徳島なのだ?と調べてみると、更にわかります。

平将門は現在の千葉県出身下総国の生まれです。千葉と言えば察しがつくと思いますが、この世界ではよく言われますのが「安房国」ですね。
ここは、阿波忌部氏の一部が移住したと噂されている場所。
つまり、「阿波」=「安房」

もし、この検証が正しかったとしたら、将門は阿波の血も持っていたのかも知れません。・・・・・

忌部氏藤原氏に負け、歴史から姿を消しました。
時の朝廷は藤原氏の天下でした。

もし、将門が阿波の血を引く者だったとしたら、反旗を翻したその行動も理解できるように思います。知ってか知らずか・・・・・


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