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日本に世界が結集する日

  • 2010/08/31(火) 14:56:17

「レッツゴー!~夢の羅列~ 2010/08/25(水) 10:49:07」で書いた8月15日に出てきた数字。気になっていたのですが、今日やっと調べることが出来ました。

~抜粋~

2010/8/15 夢の中の数字

平成元年2月23日

~抜粋終了~


1989年は天安門事件ベルリンの壁崩壊などの歴史的事件があった年であり、世界中で自由へと突き進んでいった年でもありました。

それでは我が日本はどうか?と見てみると・・・

昭和天皇崩御。

1月7日に崩御され、大喪の礼が行われたのは一ヶ月以上経った2月24日

天皇皇后両陛下のご日程(平成元年1月~3月) - 宮内庁
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h01/gonitei-h01-01.html

スケジュールを見てみると、23日にはほぼ世界中の要人が結集した日でもあり、本番の大喪の礼に向けて日本に滞在した日でもありますね。大喪の礼に参加した国は世界164カ国、27の国際機構の元首もしくは弔問使節がこの日本を目指して来たワケですね。礼を欠くことなかれと日程をキャンセルして日本に向けてやって来たのですね。翌24日の大喪の礼には世界中の元首が集まっていたということになります。

天皇皇后両陛下の23日の日程は、非常に詰んでおられ、様々な国の元首と会見し、その後には「霊代奉安の儀」を執り行った・・・と。

いやはや、私なら忙しすぎて目が回り、血圧上昇のうえダウン寸前ですね。

さて、「霊代奉安の儀」とは何じゃらホイ?と調べてみました。

「皇室のきょうかしょ」竹田恒泰氏の記事を読んでわかりました。

「皇室のきょうかしょ」
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/takeshi/column/koshitsu/koshitsu60.html

抜粋させて頂きます。

”天皇の御霊代(みたましろ)を宮殿の表御座所(おもてござしょ)「芳菊(ほうぎく)の間」に奉安する霊代奉安(れいだいほうあん)の儀が行われました。一年後に御霊代は宮中三殿の皇霊殿(こうれいでん)に移されることになりますが、それまでの間、芳菊の間が天皇の御霊代を祀る権殿(ごんでん)とされ、ここでも権殿日供の儀が毎日行われ、その後も十日ごとに権殿十日祭の儀、権殿二十日祭の儀と五十日祭まで続けられ、その後は百日祭、一周年祭が行われます。 ”

つまり、この日は天皇陛下の御霊代を表の御座所に移し、皇霊殿に移すまでの一年間、芳菊の間で安置するための儀式だったんですね。一般で言う四十九日にあたる期間と思えばいいのでしょうか?


この数字の謎かけは、世界中が日本に向けて集まった日・・・ということでしょうか。

良いように考えて、日本は世界が注目するに値する国だということを指す。

中には過去に戦い合った国々もあるでしょう。今もいがみ合ってる国々もあるでしょう。そんな国々が参加して下さったのだということを忘れてはなりませんね。

現在、世界では自由の意味をはき違えた人々が快楽に耽り、金、金、金と私財を膨らまし、最貧国の餓死者など見向きもしない「勝手」な世界になっていますね。

やはり、ここはひとつ、古代から連綿と続いてきた日本の日本人の神髄を見せてやらねばならないのかも知れませんね。行き詰まりつつあるこの自堕落な世界に終止符を打つのは「日本」の役目なのだろうと思います。

日本に世界中の人々が意識を向ける日。そんなに遠くない気がします。




追記 2010/9/2

そう言えば、見逃していました。この数字を見た日、8月15日は終戦記念日

65年前の日本では、ちょうどこの日に大東亜戦争終戦を向かえ、正午きっかりに昭和天皇の玉音放送があったのですよね。大東亜戦争終結ノ詔書、戦争終結ニ関スル詔書。

その昭和天皇が崩御され、大喪の礼が執り行われた1989年2月24日。

「平成元年2月23日」

この暗示はやはり「世界」と「日本」であると受け取りました。

何かが動き始めた感じがします・・・吉と出るか凶と出るか・・・・・?



1945年、ちょうど2月23日、トルコが日本に宣戦布告の上、国交断絶。これを皮切りに次々と各国が日本に宣戦布告。エジプト、フィンランド、サウジアラビア、アルゼンチン、デンマーク、ブラジル、ギリシャ、ノルウェー、ソ連・・・まさしく八方塞がり状態に追い込まれていく・・・・・







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