FC2ブログ

いまさら驚いた清和天皇の痕跡

  • 2010/05/16(日) 11:05:43


昨日、2010年5月15日には、 「柿の木」「ミカンの木」「菊花紋」 の御礼を込めて、久し振りに大麻比古神社へ参拝して参りました。
結婚式に参列する主人を送り松茂町まで行き、いったん市内へUターンしてガソリン補給をしていたたのですが、何となく「大麻へ行かねばならない」という気がしたので、再び鳴門方面へと車を走らせたのです。

大麻比古神社。阿波一の宮。

行く度に本殿の裏で真っ黒の揚羽蝶が頭上を舞ってくれたり、カラスや知らない鳥達が付いてきたりするのですが、そんなことは毎度のことなのでどうでもいいのですが、それより大変驚いたことがあります。

以前、霊的世界に繋がりだした頃、初めてじっくりと境内を散策した折に読んだはずの案内板・・・まったく覚えていなかったのですが・・・ここに書き写してみますね。

----------------------------------------------------------

由 緒

 神武天皇の御代、天太玉命の御孫天富命勅命を奉じて洽く肥沃の地を求め、阿波国に到りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して殖産興業の基を開き、国利民福を進め給い、その守護神として太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。大麻比古神社は、太祖天太玉命と猿田彦大神の御神徳を称えて奉った御社名と伝えられる。
 猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐しが後世に至り、本社に合せ祀ると伝えられる。延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え、阿波、淡路両国の総産土神として崇め奉る。 清和天皇 貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇享保四年正一位に進み給う。斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、神田山林を寄進、藩費を以って社殿の造営を行い、年々祭費を奉らる。明治六年国幣中社に列す。
 明治十三年国費をもって本殿以下の造営が行われた。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和四十五年氏子崇敬者の寄進によって造営された。
 大麻比古神社は、古来方除、厄除、交通安全の神として霊験を授け給い県内外の氏子崇敬者から「大麻さま」「大麻さん」「大麻はん」と親しみをこめた御名で崇められ、厚い信仰が寄せられている。


----------------------------------------------------------


何と!清和天皇(56代天皇)の文字が・・・!!@@!!???

清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り~云々」


脱力感・・・・


再び清和天皇の項を読み返してみると、やはり出てきた藤原氏。わずか9歳で即位したが、裏で天皇を操っていたのは藤原良房であり、清和天皇の皇太后・藤原高子実父。実質政権を握っていたのは、この藤原良房であり、清和天皇が在位していた貞観時代「三代格式」と言われる「貞観格式」を完成させている。・・・

「貞観格式」を元に「延喜格式」が生まれ、後の醍醐天皇時代に「延喜式」編纂作業完成。これを完成させたのが藤原時平で、時平の実父は藤原基経であり、藤原良房の甥っ子にあたる。・・・

大麻比古神社は清和天皇が従五位上を授けたのではなく、藤原良房が授けたようなものなのだろう。清和天皇はまだ9歳だったのだから・・・

藤原氏は伊勢神宮とも深い関わりがあった。なるほど、大麻比古神社には「豊受大神社」「天照大神社」もあり、大切にされている(これはどこにでもあるものだけどね)・・・


彼等が活動していた貞観時代を見てみると、意外な災害を発見。



貞観6年(864年)
富士山噴火(貞観噴火)青木ヶ原溶岩を形成した噴火(現在の青木ヶ原樹海)




「56」「ト 高 子」で繋がった藤原氏伊勢神宮にも繋がり、フラッシュ画像を見せつけられた神社、阿波の総産土神とも深く繋がってしまった。何も知識がない平凡々な主婦にとっては、こんなわずかな痕跡でも「意外」を通り越して「晴天の霹靂」でございます。

さて、今度の天武天皇はどこに繋がるか?
さてもさても私自身の身辺に、その徴候が出現するまで我慢の子になりますか。

  • ジャンル:

この記事に対するトラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事に対するコメント

コメント投稿

管理者にだけ表示を許可する