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徒然に

  • 2008/07/27(日) 10:16:50


昨夜の夢の続きを見ていた。でも、何がどうなったのか不明。
起き出したとたん、意識が現実世界に呼び戻され、記憶されているはずの世界観がきれいサッパリ忘れ去られてしまったようです。

憎らしいのは中間を取り持つ我が脳味噌。何で覚えていない?と叱りたい気分。

昨日の記事の最後に書き記した「で、私はどうしたらいいのん?」の回答へ辿る道を巡っていたように感じる。まずは手始めに身近なところから、次々と場面場面を飛んでいた。意識だけの世界。

何か大切なナレーションが聞こえていたのですが、どう転んでも思い出せない。
その声に従って、会話を繰り返し、問答をした。そしてあちこちへ意識を飛ばし、自らの足(意識)で見ていた。その行程、場所などの細部は思い出せないが、忙しく会話しながら廻っていたような記憶だけがうっすらと残っています。



色々な人物(神よりの使者)が見えていた時代、声や図形などで指し示して頂いた時代は過ぎ去り、思い出してみればその経験はそのステージを知るための上からの計らいだったように思う。これは、自分意識の外に大きな意識があり、それに誘導される感じ。そして今、それを越えて何をすべきかという問題が目の前にぶら下がっているように感じる。あの頃は自分自身の内面を知り、先行きを形作る基礎作りの時代だった。「すべては自分ですよ、まずは自分から」というどこからかの意図が見えていたのですが、右往左往させられながらもようやく現在のこの地点に辿り着いたと感じています。まずは自分自身を鍛えられ、力がつけば次のステージへと登る。そのためにはあらゆる手段で思い知らされる。それまでは確かに自分という枠を越えていなかったように思う。


始まりは、他の霊の中にスッポリと入り込むことからだったかしらん?
見ず知らずの赤の他人の中に入り込み、その人物の意識を体験させられた。
いや、自分の身体から意識だけが抜けだし、様々な中に入り込むのが最初だった?
水の中が多かったように思う。空中も多かった。そして自分の身体が見えなかった。意識だけが世界を見ている。自由自在に意識が飛ぶ。この頃から変わった。

しかし、時には昔のように袴姿で活動しているような夢もあった。それが混合時代。


今、自分を忘れている。何かを感じても、主体、願望や欲などの「小賢しい自分」を感じられない。こんな世界を探訪している。目覚めても「自分」に当てはめることがまったくなくなった。自分に繋がるキーワードが無い。それよりも、自分などどうでもいいとさえ思う。
ある本の著者のお話によると、ウサギでさえ意識の拡大はあると言う。ウサギ小屋で飼われているウサギは、目が死んでいるようなぼう~とした顔。ペットとして愛情をかけて育てられたウサギは、まるで人間のように意識を飛ばしてくるという。顔もしっかり意思表示するらしい。

意識は拡大するのだろう。それはどんな生き物にもあることだろう。

拡大とは何か? 何によって拡大するのか? そして拡大するにつれ、どうなるのか?

この世界だけは人真似では成長することは不可。自分自身で考え、感じ、意識を拡大させていくのが本筋ではなかろうか?

教祖も必要ないのではないか?凝り固まった教えは意識を狭める結果となるかも知れないと思う今日この頃。それほどに生きとし生けるものの意識は大きく偉大なものだと感じる。


まだ途中。まだまだ途中の独り言。まだまだ勉強中。独学。まだまだ上り坂を息を切らせながら上っている最中・・・・・頂上は、遙か遙か遠い。


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