受け入れられる信心 閉め出される信心

  • 2008/06/29(日) 10:53:12


あれこれと夢を見ているせいか、いつかは御出現されるその方々の御名前を聞こう聞こうと思っては居たのですが、何故か未だにお伺いしたことがありません。その方々も自ら名乗られたことが一切無く、いつもこちらで一生懸命探すばかりです。空海様だけはすぐにわかりました。坊主笠、坊主袈裟姿でしたから。

「世見」照さん もそう仰っておられますね。

「どなたなのやら一度お伺いしたいと思いますが、いざ夢の中に入るとすっかり忘れているのです」と。


圧倒的にインパクトが強く、呑まれはしませんが、その方の指し示すあらゆる事柄のほうに夢の中では心が瞬時に飛んでしまっています。
有無を言わさず某かの暗示を見せつけて下さいます。

どの国の方々でも共通しているのは、ただただ真っ白の着物(ドレス、布)を着ていること。時にはウエハースを頂いた夢のように「手」だけだったり、真っ白の神殿で立っている方の白い着物の下から少し見える「足」だけだったり、見えたと思った瞬間忽然と消えたり・・・様々でした。面白いものです。

お話は変わりますが、夢の中で自由に使えたのは、身につけた真言マントラと般若心経。そしていつの間にか腰に差してあった真っ白の剣。何故か呪文のように唱えるキリスト式お祈りの言葉は、自然と口に出てきました。「天に在す我らの父よ、なんたらかんたら・・・アーメン!」目覚めたら、自分が何を唱えていたのか忘れていましたけどね。自分自身も真っ白の着物と袴姿、足袋と草履の日本式衣装なのに、何故アーメン?と、首を傾げた時もあります。面白いですね。


実は、当然の事ながらあの世界では嘘は通じませんのよ
真っ裸の心で接します。そのまま真っ裸の心のままで色々な世界に行きます。行かされる場合もあります。


あの世界では、自分が本当に身につけている事、これが生かされるのですね。

逆に言うと、身に付いていないものは想念の世界では出て来ない、具現化しないということです。


宗教にどっぷり浸かっていようとも、心が真剣になっていないとあの世界ではその神様に認めて頂けないということです。容易い信心では通じないということです。

自分のため、自分のため、全ては自分のためという心が見え隠れする祈りでは通じないってことでもあります。エゴを起因とする信心は却下されます。誰かのために、国のために、世界のために毎日毎日座して真剣に祈りを捧げる。自分のことなどどうでも良いから、あの人を助けて下さい、世界を助けて下さい、自分の命など神様に捧げますから、どうかお願い致します、こんな心で接すれば光が見えるのでしょうね。


偉そうに書いてしまいましたが、ごめんなさい。これが身を以て覚えたあの世の仕組みの一部です。


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