時代は入ってしまってる

  • 2015/06/12(金) 10:04:29

皆様こんにちは。

「追記有り「鹿鳴館?明治時代かな?」その前に夢の羅列 2015/06/06(土) 07:34:13」
で見たビジョンの解明が複雑で難しかったので、ほどほどで止めることにしました。大体の流れはわかりましたので。

有難う、garuさん!

井上薫
黒田清隆
陸奥宗光
小村壽太郎
山縣有朋
桂太郎
松方正義

説明がヘタでごめんなさい。ちょび髭と頭がツルツルの軍人だったです。・・・orz

そこで出て来たのが上原勇作寺内正毅。




上原勇作 

Uehara_Yusaku.jpg




ちょび髭でツルツル頭ですが、どうもお顔がイメージに合わないなと。目が違う。
おそらく寺内正毅ではないかと・・・



寺内正毅 

Masatake_Terauchi_2.jpg

“嘉永5年2月5日(1852年2月24日) - 大正8年(1919年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵。書の雅号は桜圃、魯庵。ビリケン宰相の異名を持つ。
陸軍大臣(第15・16・17代)、外務大臣(第22・31代)、韓国統監(第3代)、朝鮮総督(初代)、内閣総理大臣(第18代)、大蔵大臣(第22代)などを歴任した。“




コメント欄に書いてあるように、鹿鳴館・講道館・大日本帝国陸軍・日清戦争・日露戦争・華族・華族議員・華族会館などがヒントになっていると思います。

鹿鳴館、講道館の創設は23年の時間差はありますが、同じ明治期に活躍した会館ですね。明治は1868年~1912年ですね。この時代に様々な物事が動きました。特筆すべきは



大日本帝国陸軍 

大日本帝国海軍 



そういう時代だったんですね。
寺内正毅陸軍の軍人であり政治家です。そして爵位を持っています。ここで鹿鳴館、華族、華族議員が繋がって来ます。
写真の寺内正毅は勲章だらけですが、夢の中ではごく普通の軍服でした。ちょび髭と禿げ頭。


軍服 (大日本帝国陸軍) 


華族 

“「国家に偉功ある者」として公家からは・・・(略)・・・「国家に勲功ある者」として侯爵となった。伯爵となった。・・・子爵、男爵となった。”



鹿鳴館は皇族・華族など上流階級の社交場でしたが、1890年に宮内省に払下げられ1894年に華族会館に払下げられています。上原勇作(子爵)も寺内正毅(伯爵)も爵位を持っていますから、華族会館には何度も通ったことでしょう。



華族会館(霞会館) 

“霞会館は、元来、旧華族の親睦の中心として存在してきた。そのため会員資格も、元華族の当主並びに成人に達した後継者であった。また、男子以外は爵位を持つ当主となりえなかったため、会員は男子に限られていたが、1973年(昭和48年)頃になって会員名簿に夫人の名前も記載されるようになり、また元華族の夫人、令嬢であれば、女性だけでも利用できるようになった。”




そうそう、あの禿げ頭のちょび髭の軍人の制服を探してみました。コレです。↓

1367.gif


ちょっとだけ、フォト・ギャラリー http://cb1100f.b10.coreserver.jp/omake.html 
「鎮魂の旧大日本帝国陸海軍」さんより http://cb1100f.b10.coreserver.jp/ )



上記制服は陸軍士官学校の見習士官の制服だそうです。うんうん、こんな感じだった。この制服にちょび髭・ツルツル頭を乗っけると・・・似てる。
最初は中国の人民服かと思ったのですが、これだと思います。(人民服は孫文が日本留学中に側近だった軍事顧問佐々木到一がデザインしたもの。だから日本軍の軍服によく似てるのですね)



陸軍士官学校 

IchigayaMilitaryAcademy1874.jpg




あら?外観が何だか鹿鳴館に似てませんか?・・・

Rokumeikan_201506120954005f7.jpg (鹿鳴館)




ここでハッ!としました。寺内正毅です。

“閑院宮載仁親王の随員としてフランス留学(駐在武官を兼務)後、明治20年(1887年)に陸軍士官学校長に就任。日清戦争では兵站の最高責任者である運輸通信長官を務めた。第一師団参謀長や参謀本部第一局長などを歴任した後、明治31年(1898年)より教育総監、明治33年(1900年)より参謀次長などを務める。”

そして

“第1次桂内閣(1901年6月2日 - 1905年12月21日)が成立すると陸軍大臣となり、日露戦争の勝利に貢献した。第1次西園寺内閣や第2次桂内閣(1908年7月14日 - 1911年8月25日)でも再び陸相を務めた[2]。 明治39年(1906年)には南満洲鉄道設立委員長・陸軍大将に栄進した。明治40年(1907年)9月、戊辰・西南・日清・日露の各戦役の軍功によって子爵を授けられた。

そしてそして・・・

“明治42年(1909年)10月26日のハルビンにおける伊藤博文暗殺後、第2代韓国統監・曾禰荒助が辞職すると明治43年(1910年)5月30日、陸相のまま第3代韓国統監を兼任し、同年8月22日の日韓併合と共に10月1日、朝鮮総督府が設置されると、引き続き陸相兼任のまま初代朝鮮総督に就任した。なお、陸相兼任は第2次西園寺内閣の成立で石本新六が陸相に就任するまで続いた。朝鮮総督は天皇に直隷し、委任の範囲内に於いて朝鮮防備のための軍事権を行使し、内閣総理大臣を経由して立法権、行政権、司法権にわたる多岐な権限を持った。寺内は憲兵に警察を兼務させる憲兵警察制度を創始し、朝鮮の治安維持を行ったことなどに対して、後に武断政治と評価された。明治44年(1911年)4月、韓国併合の功によって伯爵を授けられた。



なんと、朝鮮総督府の初代朝鮮総督ですよ。・・・日韓併合時代ですね。・・・・



朝鮮総督府 




もうおわかりいただけただろうか?
時、すでにこの鹿鳴館以降の時代に入ってしまっているということです。

日清→日露→第一次世界大戦→第二次世界大戦



つい先日も「背広組」「制服組」が対等に防衛省を補佐するという案が成立しました。

<改正防衛省設置法>「背広組優位」を撤廃 参院で成立
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150610-00000021-mai-pol



シビリアンコントロール「文民統制」「文官統制」は226事件など過去の出来事を考えたらとても大切な事ですし、「事件は現場で起こっている」ということを考えたら制服組の意見もとても大事。

今時はボタンひとつで一つの国を滅ぼすことが出来るのでしょうから、頭に血を登らせないことが大切。日本人はとても我慢強く思慮深いのですから、上手く立ち回って頂きたいですね。しかし判断のスピードも必要です。

あ、考えなしのどうにもならないお困りの国がお隣にありましたっけ・・・困ったものですね。

まあ、こんな風に結論付けたワケですが。あとはあの追記で書いたウンチのおじさんかな?


廊下にあったパネルを二度見したとき、ちょうど軍人と2chのロゴ?だけが透けて見えていました。
日本の軍人の想いを消すことは出来ない、2ch(国民)の口に戸を閉めることは出来ない・・・ということでしょうか?




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この記事に対するコメント

嘘ではないんです^^

なるほど、くうみさんにわかるように、unkoで韓国だよと教えられたのですね^^朝鮮総督府初代総督。

これ7月のあれに関連してるはずですね。
私は大本関連と思ったけど葬式と猫と婆さんに追われて、調べられてません::garuさんご苦労様でした。スマホ欲しいわ。

先のコメントの糞尿食の話
ヘイトスピーチではありませんよ。朝鮮総督府ができて、いろいろ改善する為に調査をしたようです。あちこちに出てますが、例えば

ブログ「無敵の太陽」さんの記事
「糞尿を薬にしていた朝鮮人」

こちらを読んでみてください。本当なんですよ。
こんな国は地球上にはほぼ皆無でしょうね。
文化なんて無かったのです。日本では乗り合い馬車が繁盛していた時代に、かの国では車輪が発達せず、道路も貧弱だった事は

ブログ「日本近代史の歴史認識をまとめています」
こちらの朝鮮関連の記事を読めば、写真入りでまとめてあって、よくわかりますからね。

中国からの使者が通る、宮殿に通じる道でさえも、うちの田んぼの畦道程度のレベルなんです。そんな国から文化が伝わるはずがない。
中国文化が「通り過ぎた」だけですよ。
実質は、中国あるいは日本が支配していたはずです。

もうすぐ全てばれてしまうんでしょうね。書かなくってもすぐわかるからいいよ^^vですね。

  • 投稿者: NM
  • 2015/06/12(金) 12:57:16
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佳子さま

こんなニュースがありましたので

「佳子さま 船舶の進水式に臨むに当たり入念に斧を振り落とす練習も」livedoorNEWSより

お父様譲りなのでしょうね。ちゃんと練習なさったんだ。
何事にも全力で取り組まれておられるのでしょうね^^

  • 投稿者: NM
  • 2015/06/12(金) 13:19:48
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