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追記有り「ロシアの日本名わかったわ」やけど大黒屋が飲んだお茶はマイセンティーカップか?

  • 2015/04/30(木) 16:42:13


皆様こんにつは。

あれこれ調べてたらもうしんどくてしんどくて・・・疲れたわ~
と言いうことで、最短で記事を書こうかと思います(笑)考え過ぎて頭が痛いし下痢やわテニス肘が痛いわ五十肩?みたいに肩が痛いわでダウンしそうです。


ドイツの日本名がわかったことで、次はロシア。


ドイツの結果は「マイセン」「アウグスト二世」「幽閉」「城?要塞?」などがキーワードですが、ロシアは「エカチェリーナ二世」「イルクーツク」「宮殿」「マイセン」「大黒屋光太夫」「プロイセン」などです。


ロシアと言えば有名なのがクレムリン、赤の広場など沢山あるのですが、まずおじいさんが行くと言っていた「宮殿」から関係を調べました。白亜の城ね。
そこで出て来たのが「エカテリーナ宮殿」


エカテリーナ宮殿 

Catherine_Palace_in_Tsarskoe_Selo.jpg



なるほど、白いけれども・・・金ぴかですね。ふんだんに金の装飾をお使いの様子。(ひとかけらくれへんかな?)(嘘
ドイツの「日本名」との何か繋がりが何か見つかるはずだと思い、調べ始めてこの方だと思ったのがロマノフ王朝エカチェリーナ二世。



エカチェリーナ二世 

“北ドイツ(現在はポーランド領)ポンメルンのシュテッティンで神聖ローマ帝国領邦君主アンハルト=ツェルプスト侯クリスティアン・アウグスト(プロイセン軍少将)の娘として生まれ・・・(後略)・・・”

日本人が見たエカチェリーナ2世
1783年、伊勢白子(現鈴鹿市)の船頭である大黒屋光太夫は、江戸への航海途中に漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。その後ロシア人に助けられ、シベリアの首府イルクーツクに滞在した。ここで学者のキリル・ラックスマンの援助で、帰国請願のためサンクトペテルブルクに向かい、1791年、エカチェリーナ2世に拝謁して、帰国の儀を聞き届けられている。キリルの次男アダム・ラックスマンが、鎖国状態の日本に対して、大黒屋光太夫小市、磯吉を返還すると同時に、シベリア総督の通商要望の信書を手渡すために、遣日使節として日本に派遣され、1792年、光太夫らは根室に帰着した。“
(wikiより)



「アウグスト」「大黒屋光太夫」
ほら、出ましたよ日本名、プロイセン。エカチェリーナ二世の父親はプロイセンのアウグスト。アウグストだよ、アウグスト!
「やったね!^▽^v」と喜んだのはいいけれど、「ん?日本名だけど・・・あの方が仰ったのは・・・あれは日本名の付いた“場所”ではなかったか?」と疑問が起こります。改めて日本名の付いた地名などを探したのですが、やはり出てきませんでした。
仕方がないので大黒屋から調べてみました。大黒屋だよ、大黒屋!



大黒屋光太夫
 
“1782年(天明2年)12月、光太夫は船員15名と紀州藩から立会いとして派遣された農民1名とともに神昌丸で紀州藩の囲米を積み、伊勢国白子の浦から江戸へ向かい出航するが、駿河沖付近で暴風にあい漂流する。7か月あまりの漂流ののち、一行は日付変更線を超えてアリューシャン列島の1つであるアムチトカ島へ漂着。・・・(中略)・・・その後カムチャツカ、オホーツク、ヤクーツクを経由して1789年(寛政元年)イルクーツクに至る。

“イルクーツクでは日本に興味を抱いていた博物学者キリル・ラクスマンと出会う。キリルを始めとする協力者に恵まれ、1791年(寛政3年)、キリルに随行する形でサンクトペテルブルクに向かい、キリルらの尽力により、ツァールスコエ・セローにてエカチェリーナ2世に謁見し、帰国を許される。”




イルクーツク 

“また、ロシア中央から囚人や政治犯の送られる流刑地でもあり、1825年にはデカブリストの乱を起こした貴族たちはイルクーツクに流された。1863年にはポーランド立憲王国で反ロシア蜂起(「一月蜂起」)が起き、蜂起の参加者たちがイルクーツクに流された。・・・(中略)・・・第二次世界大戦後は、日本人の抑留地のひとつとなり、抑留者による労働で建設された建物が残る。また、イルクーツク市は1967年3月20日以来、石川県金沢市と姉妹都市協定を結んでいる。そのため、市内には「金沢通り」という名前(ロシア語と日本語表記とが看板で併記)の通りがある。

これらの公共建築にはシベリアに抑留された日本人によって建てられたものも多い。しかし、現在では在留日本人は僅少。”




で、で、出た――――――――――――!!金沢通り!!!@@;
抑留地!捕虜だよ、捕虜!!英霊だよ、英霊ぃぃぃい!!!


(あり?金沢市って前にククリヒメ様の夢で・・・ ??)




2011年09月13日(火曜日) 日本との縁 
http://arfaetha.jp/ycaster/diary/post_1456.html

kanazawadooriinrussia.jpg
「伊藤洋一公式サイト」さんより http://arfaetha.jp/ycaster/ )
(勝手にお写真拝借!ごめんなさい!><)



さて、日本名の場所はわかってホッとしたのですが、まだ調べたいことが・・・
「マイセン」は?


ありました。エカチェリーナ宮殿に。

エカテリーナ宮殿の写真: 金箔で飾られた壁とマイセン製の左右の暖炉宮殿竣工時マイセンから贈られた壺が100数点あるとのお話
http://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g811323-d301025-i47773786-Catherine_Palace_and_Park-Pushkin_Pushkinsky_District_St_Petersburg_Northw.html


エカテリーナ宮殿 (トリップアドバイザー提供)

「トリップアドバイザー」さんより http://www.tripadvisor.jp/ )

454-4.jpg

「【突撃編】世界探訪Part3-おやじ探検隊-」さんより http://www.net758.com/cgi-bin/diarypro22/diary.cgi?page=11 )



エカチェリーナ二世の所蔵美術品は現在のエルミタージュ美術館の基礎となったのですね。凄いです。床から天井まであるあのマイセン・・・ひとつおいくら?って思ってしまうのは庶民の探求心か?いや、ただのおばやんの銭勘定、聞いて目玉が飛び出て聞くんじゃなかったと・・・(笑)



エカテリーナ二世の4大ディナーセット~ヨーロッパ磁器に見る宮廷晩餐会~
http://dramatic-history.com/art/2009/culture/four-banquet/tables.htm

“この「聖アンドレイ・セルヴィス」は、後の皇帝ピョートル3世と女帝エカテリーナ2世の婚礼を祝して、1775年にザクセン選挙侯フリードリヒ・アウグスト2世からロシアに贈られたもので、正餐用の食器セットや紅茶・コーヒー用の茶器セットなど400点以上の品々から構成されています。(マイセン磁器製作所 (ザクセン) 1744~45年)”

andrew01.jpg
(お写真無断使用しました!ごめんなさい!><;)



で、エカチェリーナ宮殿など歴史建造物のある世界遺産「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」サンクトペテルブルグエカチェリーナ宮殿ピョートル大帝が関係あり、宮殿は大帝の妃が発案し避暑用として建てたもの、サウウクトペテルブルグは大帝が人工都市として発展させたもの。
ピョートル大帝もエカチェリーナ二世もロマノフ家。



ロマノフ家 



ピョートル1世

Peter_der-Grosse_1838.jpg
 
“サンクトペテルブルク出身のロシア連邦大統領、ウラジーミル・プーチンは、ピョートル1世を尊敬しており執務室に肖像画を飾っていた。


もうひとつおまけにプーチンさんの愛犬には秋田県から送られた秋田犬の「夢」がいます。愛犬家のプーチンさんは大変喜ばれ、ソチ会談では夢を連れて安倍さんに会いました。日本名っちゃ日本名だわね。夢ちゃんはもうおっきくなったやろね~(^^

ドイツとロシア、アジアインフラ投資銀行に参加表明したんだけどね~
どうなるかね~ 日本にとってどう出るかしらね~ メルケルさんは大慌てで日本に来ましたけどね~・・・

おそらくこの関係も潜んでいると思うんですよ。・・・(vv

安倍さんのアメリカ議会演説は素晴らしかったですね。戦後70年の節目に戦後レジュームからの脱却宣言ですね。未来に向けて進もうではありませんか!(拍手喝采!)
これ、中国・韓国に止めを刺したような・・・(vv
ワシントンハウスでオバマと演説中に突風が吹いてアンチョコが吹き飛んだ。NMさんからメールがあって神風やわ!と。改めてビデオを見て見ますと、ちょうど従軍売春婦の話をしている最中でした。・・・・神様が「もう良い!」と吹き飛ばされたんやね。やっぱり日本の神様は凄いですわ~(笑)




追記(2015/5/1 pm14:11記)

大黒屋光太夫エカチェリーナ二世が一緒にお茶を飲んだという記述が残っていますね。

日本の紅茶の歴史を紐解く
http://kyo-kure.hatenablog.com/entry/2014/07/19/205728
「京都紅茶道部支配人みこどんの追記」さんより http://kyo-kure.hatenablog.com/ )

“『日本人で初めて紅茶を飲んだ』と言われるのは、11/1の紅茶の日でもおなじみの伊勢の商人大黒屋光太夫であり、彼が駿河沖で暴風にあい漂流、アリューシャ列島の島に漂着したことにより、ロシア人と出会い帰国するためにサンクトペテルブルグに居るロシア皇帝エカチェリーナ2性と謁見し、帰国へ向けて動き出す時に、エカチェリーナ2世に紅茶を振る舞われたということから、『日本人で初めて紅茶を飲んだのは大黒屋光太夫ではないか』と言われています。”

マイセンのティーカップで飲んだのかも知れませんね。

「青湾茶話」という17世紀の書物に記述があるそうですが・・・実は1600年代初頭にはすでに紅茶は日本に入って来ていたらしいです。


青湾茶話 https://kotobank.jp/word/%E3%80%8A%E9%9D%92%E6%B9%BE%E8%8C%B6%E8%A9%B1%E3%80%8B-1350864


「青湾茶話」で思い出したのが

「追記の追記有り「青い茶碗と「とあに とあに とあに・・・」」だから何?火山じゃない山噴火?いや、三国志に関係あるかも(なっげーな!) 2014/11/14(金) 23:23:44」


「必死でこじつけたら滋賀県でした? 2014/11/18(火) 14:12:50」


「青湾茶話」には当然中国三国志のお茶や茶碗が出てくるだろうね。


マイセンよりウエッジウッドのティーカップ、あるいはエカチェリーナ二世が寵臣のグレゴリー・ポチョムキン公爵のためにフランス・セーブル磁器製作所で作らせたカメオ・セルヴィスが近いな~(色が)






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この記事に対するコメント

ご無沙汰しております!
早速、関連したことがニュースになってます。シベリア抑留中に亡くなられた方々の名簿が新たに一万人分、公開になりましたね。
戦後70年の節目に色々なことが明らかになってます。
くうみさん、お身体お大事になさって下さい。
いつも、皆様、考察が凄い!とコメントまで熟読しています(^ ^)

  • 投稿者: 橘右近
  • 2015/05/01(金) 09:44:22
  • [編集]

Re: タイトルなし

こんにちは、右近さん^^/
お久しぶりですね!^^vお元気でしたか?
すれ違ったみたい・・・

今、ニュースっ見ました!ホンマや!@@
これは遺族にとって涙が出るほど嬉しいニュースですね!
安倍さんの神風「もう良い!」やらシベリア名簿やら嬉しいニュースが続きますね。このまま戦後脱却で先を見て進みたいものです。

はい、皆様一生懸命に解明のお手伝いして下さいます。本当に助かります。有難いことです。コメント欄が一番アクセスが多いんですよね。皆様の分析を楽しみにされてる方々が多い事多いこと!(笑)
私も嬉しいんですよ。^^v

  • 投稿者: coomi
  • 2015/05/01(金) 10:03:11
  • [編集]

英霊様方のお戻り

日本の未来の為に命を落とされた方々が、今までの愛国心教育のされていなかった、いわゆる左翼的な日本には戻りたくなかったのでしょうね。
そうとしか思えないほど、当時の戦艦や英霊様の遺骨収集、そしてこうして名簿も明らかになってきたのは、お戻りいただける日本になって来たのだと、きっと、やっとお戻りいただけるような日本になりつつあるからかもしれないなと、最近思うようになってきました。

  • 投稿者: garu
  • 2015/05/02(土) 21:16:27
  • [編集]

記事とは全く関係のないお話ですが・・・。

3.11の地震、人災だったと言うお話が出てきております。
本当に、今更なんですけど・・・。

http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/blog-entry-957.html

ここでのくうみさんの記事が忘れられなくて、なんかずっと引っ掛かっていた事があって色々調べてみますと、阪神大震災の前は沢山の人が波動を感じていたのに、あの未曽有の大震災の時には地元住人二人だけしか気付かなかったと言うのです。
大津波もそうです。
もし、何らかの意図があって何処かの国が実験的にこの地震を起こさせ、なおかつあの大津波を起こさせたとなると、それは日本の神々の怒りにふれたのも頷けます。

おそらくこの時から日本が大きく変わり始めたのかもと思う事が多々あります。世間では「尖閣問題」がきっかけと言っていますが、この時の民主政権への批判から民主が何をしていたのかを探りだし、そして、そこから某国への「不審」をあぶり出した。
「もう、我慢出来ん」と神々が動かれたのかもしれないと・・・。

阪神大震災の時に予知された方々がこの時、なんの波動も感じなかったのは「これは天災じゃない」と気付かれ始めたのだそうです。

  • 投稿者: garu
  • 2015/05/02(土) 21:34:12
  • [編集]

Re: 記事とは全く関係のないお話ですが・・・。

こんにちは、garuさん^^/

あの時はとても辛かったです。安倍晴明様や他の衣冠束帯姿の男性たち数名が現地に向かったのに私には「来なくて良いぞ」と。あの日の5日くらい前でした。私は行かなくてはならないと晴明様に訴えたのですが・・・却下されました。そして3・11が起こったのです。○○仙の言葉の意味に気付いて大変なショックを受けました。何でもっと正確に教えて下さらないのかと怒りさえ覚えました。

人工地震だったのかな~?原爆と同じく実験場になったのかも知れませんね。もしそうだとしたら・・・おのれ、許さん!!!
神々様が御怒りになるはずです。英霊も日本に集められております。帰って来なさいと。戦艦も帰国させてますね。戦艦にも霊があるのですよ、ええ。元は地球の鉄やその他の成分から作られていますからね。そして戦艦を作った人々の魂も込められておりますからね。

日本は民主党に一旦政権を握らせた結果、散々な目に合いました。私ははなからあの政党は信じていませんでしたが。
嫌韓、嫌中になって十数年。やっと日本が目覚めてくれたと喜んでます。
自民党に戻って日本を取り戻す運動が実を結びだし、ようやくホッとしましたね。
それで英霊や戦艦、名簿などが次々とニュースになってきて、英霊も帰りやすくなったことでしょう。

小豆島にも護国寺(神社)があります。そこへ参拝しようかと思っています。

  • 投稿者: coomi
  • 2015/05/03(日) 12:28:43
  • [編集]

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