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菅原道真公(天神様)と弘法大師空海様 その5
- 2011/08/12(金) 10:22:57
鳴門の渦潮はちょうど中央構造線が四国から抜けたところにある。
波と波がぶつかって、ぐるぐると渦を巻く。地球全土でも珍しいポイントだ。
この渦はどこから発生するのか?
天と地でいうなら、「地」の渦だと思う。
地の奥深く、闇の根源。
私は常々、四国は胎児だと感じていた。水に浮かぶ胎児。
未開発の、まだ独り立ちできない胎児だと思っていた。
へその緒は淡路島か? パイプだ。だから淡「路」と書く。へその緒。
胎児は黄泉(霊界)と現界の境目に存在する。現界の人もまだ知らない存在。
しかし、確かにそこに存在している。外からは見えないのだ。
・・・・・・・・・・・
イザナミに触れてきたが、阿波忌部も関わってくる。
阿波忌部も藤原氏(中臣氏)によって歴史の闇に葬られた氏族である。
空海も讃岐忌部の血を引く者とも言われている。
忌部
何とも奇妙な氏族ではないか。 「忌」という不吉な名を付けられたのは何故かと言えば、その後の歴史改ざんした者達が闇に葬るに相応しい名を付けたかったのだろう。
「いまわしい」という意味を持つ「忌」も冥府に関連している。
天皇の祭祀を司っていた忌部が、この名を持つのは不自然ではあるまいか?
忌部氏もやはりイザナミとの縁を感じる。
イザナミはカグツチ(火の神)を産んだため、それが原因で死んだ。
我が子を恨む母親などいないように、イザナミはカグツチも可愛い我が子と思っていたに違いない。火である我が子なら、イザナミは火も操れるということになる。
今、香川県直島町側は井島(いしま)で山火事が9日に発生している・・・いまだ燻り続け、鎮火していない。これはどういう意味か?
四国は「伊予の二名島」として生まれた島だ。「伊」は阿波・讃岐を指す。
イザナギ・イザナミによって 国産み により生まれた島だ。
その「伊予」の「伊」の讃岐の井島が燃やされた。
だらだら書いても決着がつかず混乱するだけなので、元を話に戻そう。
何故、菅原道真は弘法大師空海と深い繋がりがあるのか?
陰陽で言えば 道真は「陰」 空海は「陽」 であると思う。
空海は835年4月22日に入定した。
道真は845年8月1日に誕生している。
空海の死後、わずか10年の短いサイクルで「陰」「陽」が生死を経て入れ替わったのだ。そしてその時代を象徴するように生きて歴史を刻んだ。
道真は陰であったために怨霊と恐れられ、祟り神とされた。「ナミ」
空海は陽であったために仏(神)の隣に座する者と讃えられた。「ナギ」
道真は祟り神であったから鎮めるために「天神」という神の位置を与えられた。
空海は自ら仏となり高野山に入り、そこから神の如く国を見守っている。
それは現代でも語り継がれている。
表向きはこうだろう。しかし、人として生きていた時代、彼等の本心(魂)はどうだったろうか?
学者、政治家として心から天皇を支え続けた道真。家系も含め若くして目をかけられ、その時代の貴族として脚光を浴び、正道を歩んできた道真。
仏とは何か、涅槃とは?と考え続け、孤独の中一人考え続けた空海。苦しい修行の末に掴んだ光明。そして故郷である四国を結界によって目隠しした。
生き様は正反対ではないのか?陰陽が逆転している?
道真は空海の悲しさ、悔しさ、心の闇を知っているのではないか?私と同じではないかと言っているのではないか?
陰陽を併せ持つのが人だと言っているのではないか?
おそらく、結界を張った四国の謎も知っているのではないか?
イザナミに力を借りて清涼殿を雷雨と落雷によって破壊した道真は、現代にも同じ事をしようとしているのかも知れない。背後のイザナミは国産みの神なのだ。どれほど強大であるかわかるだろう。陰陽の陰なのだ。
マーゴンを使って阿波徳島の太龍寺を破壊したのは空海の結界を破ろうとしたため。唐(中国)由来の名前を持つ台風だ。道真にも空海にも日本にもご縁があるのは当然だ。
台風は太極図にも似ている・・・
マーゴンは幾重にも結界が施された京都や奈良、和歌山には通用しなかったし、古来よりの日本の神々に止められはしたが・・・(小さな損害はあったが)合図になった。
「行くぞ」
プロセス(道)のひとつだ。この世に存在できるひとつひとつに用意してあるプロセスだと思う。それは自分にも用意されているし、誰も彼もが用意されているはずだ。百億の命があれば、百億のプロセスがある。
では何に行き着くためのプロセスだ?
破壊と創造、新しい生命が芽吹くための道なのだ。
そのためには古い殻を破り、真っ新な状態にしなければならないのだ。
イザナギはイザナミと対にならなければならない。そしてひとつにならなければならない。1から2が生まれ、また1になり、3になり・・・これが国産みだろう。
時代と共に紡いできた糸(意図)は、いったん解かれ、また編まれるのだろう。
解かれる時、それが今の「時代」なのだろう。
イザナギはイザナミと黄泉比良坂(よもつひらさか)で対峙した。
そこに泉守道者が現れ、イザナミの言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」とイザナギに言った。
「イザナミからのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」
イザナミとイザナギの居所はこれにて決定された。
これが現代までのプロセスであった。
ジャンル:
- 謎
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気になるところです
今、前のコメントの続きを書いていたので、連続のお邪魔を失礼します。
私もあの火災にひっかかっていました。自然発火にしても人為的にしても、何かが動いている気がしています。
注意深く見ています。
無題。
>道真は空海の悲しさ、悔しさ、心の闇を知っているのではないか?私と同じではないかと言っているのではないか?
で、多分空海は
「いい線行っているよね。でもねそれを乗り越えてこそ。なのよね。」
それにとどまる限りに、呪縛され苦しむ。
それを飲み込み消化してこそ、「大空位に遊歩」{大日経}できるのだよ。と。
善と悪、恨みと報い。それを折り重ねて、太極の曼荼羅を作ろう。と。
だからわれわれは今、原発・不景気・社会不安がある。日本人もそれから長く目をそむけてきた。
「けがれ」として、あるいは「禁忌」あるいは「自己防衛」として。でもその負のものは消えない。
それを見つめて「魔も悟りも飲み込む」{臨済録}。
悪・負を見て、それに降り立って、掬い取る。
お地蔵さんのように。
あるいは、真言律宗の叡尊さんは、貧しい病人にこそ「文殊菩薩」がいるとある経典を読んで直感したとか。
それの人たちと共にいることで、自分も文殊菩薩であると。それで社会福祉にも奔走したとか。
泥を掬い取って、幸せと悟りの「蓮の花」を咲かせよと。
って綺麗過ぎるかな?
私にはまだまだ難しい気もしますが・・。
ではまた。
Re: 気になるところです
おはこんばんわ? 蜜柑さん^^
お盆の12日だったので、ずっと忙しくて疲れちゃって早めに寝たのですが、またまたこんな時間に・・・
私は年寄りか?(笑)
そうですね、自然発火は熱のせいだと思うのですけど、今書いている空海さんの故郷だけに心配しました。何故か私が触れる所が問題発生してしまうのですよね。何だか責任感じてしまうくらいです。
もう鎮火したのかな?
ちょうど岡山と香川の境目、井島には県境があるんですよね。ここ、この辺りなんですよ、前に見た地図(夢の中で)
私もあそこらは注意しておきますね。
Re: 無題。
おはこんばんは、忠武飛龍さん^^
いつも御世話になり、有難うございます(ぺこり!)
その通りだと思います。見つめなければ駄目なんですよね。
今、我々に突き付けられている現実は崩壊寸前です。しかし目をそらしてはいけないんです。
負は負として見つめて昇華していかなくては・・・
空海様はその人間の負の部分をじっと見ていた一人だと思います。
そうすることが人間としての役割ではないのかな?と思います。
私も綺麗事ばかり書いてる気がします。そんな人間ではないのにね(苦笑)
仏教は救いのためにあったのですが、日本の神々様はそんな生易しい方々ではありませんね。
神々が斬り捨てたものを拾って慰める、これが仏教かも。
「阿弥陀様には水かきがある」と夢で教えられました。ここのブログのどこかに書いてます。
調べたら、本当にあったのでびっくりしましたよ。
陰陽で言えば仏教が陰で神道(?)が陽かも知れませんね。
まだ道真と空海編は続きます。
いつ終わるんだか・・・(爆)・・・・’(滝汗)