菅原道真公(天神様)と弘法大師空海様 その1

  • 2011/08/06(土) 08:39:27

夢日記を開いて見開きの図を眺める。
やれやれ、どこから書けば良いのやら、とんとわからない。
ザッと流してみる。

まずは宇多天皇。
Emperor_Uda.jpg


貞観9年5月5日(867年6月10日) - 承平元年7月19日(931年9月3日)

光孝天皇の第七皇子であった彼は、光孝天皇が重篤状態になった際、後継者を指名していなかったため、時の権力者・藤原基経によって、当時臣籍降下させられ源氏としていた彼を皇族に復帰させ、皇太子に仕立て上げられた。藤原基経自身は彼を気に入ってはいなかったようだが、光孝天皇崩御で即時天皇として即位する。宇多天皇20歳の頃。

宇多天皇としての治世の職務を果たし、その一環である「寛平の治」は、基経の嫡子時平を参議にする一方で、源氏や藤原保則、菅原道真といった藤原北家嫡流から離れた人々も抜擢した。皇族・貴族からのブーイングもあったが、それらを切り抜け、やがて藤原基経の死から思うように政治に着手できるようになった。藤原基経の息子・藤原時平を参議にしたのは、藤原基経への思いやりだった。彼、宇多天皇のこうした親政のこの流れは、息子・醍醐天皇時代などにまで及ぶ。

宇多天皇の重鎮として藤原時平と共に並ぶ菅原道真は、学者筋であったため頭脳明晰でありクールに政治を行うため、感情的な時平と衝突することも度々あり、時折宇多天皇の元へ相談に行っていたこともある。

宇多天皇が菅原道真を高く評価していたのは、その昇進ぶりでよくわかる。
しかし宇多天皇は突如、醍醐天皇に譲位し出家。真言宗は東寺で受戒した後、仁和寺の仏門に入り、法皇となる。菅原道真はこの時、藤原時平の次のポストである大納言へ昇進する。
これは、仏道に専念するためであるとも言われるが、藤原家との確執がからんでいるのは間違いないようだ。彼等の突き上げを回避するため、譲位したと考えられる。

仁和寺は宇多天皇が開基であり、内裏には真言院があった。(実は何年か前、私はこの真言院関係の夢を見ています。掛け軸を私が真言院へ持って行ったという夢ですが・・・当時は意味不明でさっぱりでした。このブログのどこかにその頃の夢も書き残してあります。)

真言院は文字通り真言宗であり、空海様が開祖である。
内裏では今で言う神道とともに真言宗を筆頭に仏教も大切にしてきた。

出家した後も宇多天皇は左大臣・藤原時平ではなく右大臣・菅原道真を味方につけており、醍醐天皇の後ろから政権を握っていた。菅原道真を重要ポストにつけろと醍醐天皇に指示したのも宇多天皇。

面白くないのが藤原時平であり、恨みもあったろうと思われる。
何せ宇多天皇を天皇に仕立て上げたのが父である藤原基経であったからだ。

「誰のお陰で帝になれた、私の父のお陰ではないか!」

時平はやがて醍醐天皇の御代に菅原道真を窮地に陥れ、太宰府へ左遷させる。

それが「昌泰の変」(901年)

宇多天皇醍醐天皇に左遷に決まった道真を救ってくれと内裏へ向かい、相談を持ちかけるが拒否される。
醍醐天皇時平と結託し、宇多天皇(上皇)とその派・菅原道真を討ち取ったのだった。醍醐天皇と藤原時平の勝利だった。



この宇多天皇が大きなキーワードとなる。キーワードその①

そして息子・醍醐天皇が次のキーワードとなる。キーワードその②

そしてキーワードその③藤原時平

キーワードその④真言院・仁和寺・真言密教・弘法御大師空海




さて、次に菅原道真公。
Sugawara_Michizane.jpg


もうすでにご存知であろう超有名な方なので省かせて頂く。
この菅原道真公が最も威力を発揮するのは死後であり、その要所が太宰府

承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日)

~wikiより抜粋~

”菅原 道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家である。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。

宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣藤原時平に讒訴され、大宰府へ権帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。”


~抜粋終了~

道真は家系の血もあり漢文・漢詩の第一人者であり、文章博士であった。菅家廊下の門人は「竜門」と呼ばれ、一時期は内裏で総勢100人はいよういかと思われるほどで、その世界に於いては功成を誇った。彼も才猛る天才であったのだろう。道真に教えを請う門人は沢山いた。
その道真の博識・知性を高く評価したのが宇多天皇であり、最も彼を理解するものとして支え続けた。これは、藤原氏に対する牽制の意味でもあった。

讃岐国に一時下向し、讃岐守として勤める。讃岐弘法大師空海の生まれ故郷だ。おそらく彼もそれくらいのことは知っていたであろうと思われる。
ここにも空海との因縁を見ることができる。

弘法大師空海ほどではないが、道真も時代の寵児、スーパースターだったのだろう。
とんとん拍子で出世していく道真ではあったが、「昌泰の変」(901年)であらぬ疑いをかけられ、太宰府へ左遷され、2年後太宰府で没する。青天の霹靂とは、まさにこのことと思われたに違いない。

昌泰の変

「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

京を去るときに詠んだ歌はあまりにも有名。彼の悲しみがひしひしと伝わってくるようだ。
彼は決してお上(多分、宇多天皇)を恨まなかったという。彼が恨んだとするなら、藤原時平と醍醐天皇だ。

921年、その醍醐天皇空海「弘法大師」という諡号を与えている。

道真は思ったろう。
なぜ私は流罪で空海は諡号なのだ?

同じく空海と似たその時代の天才であったがゆえに、怒りを感じたはずだ。
魂は永遠と言うが、道真は醍醐天皇のその所業を空から見て怒り狂ったかも知れない。これが霹靂だ。

しかし、唐の滅亡により遣唐使を廃止させたのは道真である。
空海が私費で決死の思いで海を渡った遣唐使船は、その後再び海を渡ることはなかった。

空海真言密教を日本に持ち帰ることが出来たのは、遣唐使船があったからこそであり、阿倍仲麻呂・吉備真備・円仁・山上憶良なども唐へ渡っている。
空海入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡の一人であり、また反対に鑑真は日本へと渡って来た。
空海の遣唐使への思いは深いものがあったろうし、遣唐使廃止の報をあの世で聞いて寂しさを感じていたのかも知れない。思い出深いものであったから。




太宰府。
Dazaihu_keinai.jpg


この地は道真が没した地であり、空海が唐より帰国した後で一時滞在した場所でもある。太宰府天満宮が道真が葬られた場所で、道真の墓所のようなものだろう。

空海は太宰府で真言密教の第一号の法要を行っている。
当時の太宰府の役人、田中小弐という人物が空海に妻の葬儀(法要)を依頼したのが最初の空海の真言密教式法要だと言われる。
太宰府時代、個人の法要などを引き受けて細々と暮らしていたようだ。

遣唐使として20年滞在の約束を守らず、わずか2年で帰国した空海闕期(けつご)の罪にあたるとして実は罪人だったのだ。お上に知れて帰国したとたん流罪になるとしても、すでに太宰府にいたのだから帰国と同時に流罪の処罰を受けているようなもの。京には帰れなかったのだから。
太宰府では持ち帰った仏典などを整理しながら過ごしたが、唐に渡るときの天皇、桓武天皇が崩御していたので、次の天皇・平城天皇の許しを得るために彼は辛抱強く待っていた。

大同4年(809年)、平城天皇が退位し、嵯峨天皇が即位した。空海は、まず和泉国へ向かい、槇尾山寺に滞在し、7月の太政官符を待って入京和気氏の私寺であった高雄山寺(後の神護寺)に入った。(wikiより抜粋)


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この記事に対するコメント

感想。

面白いですね。

続きを楽しみにしてます。

あと宮中の真言院は、後七日御修法を行っていた場所。
空海渾身の政治工作の跡。密教で国家と天皇と庶民を守る装置でした。

勘違いでなければ今、昔に真言院で祭られていたらしい「五大力菩薩」の肖像が、高野山にあるそうです。確か仁王経法の本尊とか。今は焼失して三体分しか残ってませんが。

東大寺にも真言院はありましたね。
その辺もしらべてみたいです。

ではまた。

  • 投稿者: 忠武飛龍
  • 2011/08/06(土) 09:56:45
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Re: 感想。

こんばんわ? 忠武飛龍 さん ^^
今、お仕事から帰って参りました。
いつも御世話になります~!

う~ん、どうでしょうね。私の妄想の域を出てませんから何とも(笑)

真言院。
そうだったんですか、政治工作かも知れませんね。
東大寺は昨年ご挨拶に訪れた寺院ですが、真言院があったとは・・・
高野山はまだ一度もお伺いしたことがありません。
ウチの祖母が毎月のように参拝していましたが、私は当時は興味がなくて(笑)

>「五大力菩薩」の肖像が、高野山にあるそうです。確か仁王経法の本尊とか。今は焼失して三体分しか残ってませんが。

何やら難しそうな・・・私の頭ではついて行きかねるかもです><

  • 投稿者: coomi
  • 2011/08/06(土) 19:47:11
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