京都・晴明神社と鳥取砂丘編

  • 2011/09/29(木) 12:38:23

地獄の面々のようなヤツが来たらついブスリ!とやってしまうのが私の悪い癖。
昨夜(2011/9/29)の夢は久し振りに地獄の2丁目。また来てしまったと気づいてはいますが、自分が何をしたいのか、あるいはしなければな/ないのか、まるっきりわかりませんわ(笑)いきなりそんなとこ案内されてもねえ・・・(笑)
背後から誰か見苦しいむさ苦しい男が忍びより、耳元で何か囁くのだけど、ブスリ!と胃のあたりを尖った剣で下から上に貫いてやった。でも身体に穴が空くだけ。
霊体を突いた感覚は手にあるのだけど、相手は血も出ない。
胃のあたりを「あれ?」と不思議そうにさすっているだけ。
そりゃそうだね。霊体だけなのだから痛くも痒くもありませんよね。
どうやら私が聞く耳を持たないと察したのか、どこかへ去りましたが。
肘てつ食らった男みたいだね。
コントでは女性に後ろ向きでみぞおちに肘てつ食らう男の場面がよくあったね。
私の場合は剣だったのか・・・(苦笑)


あたりは荒涼とした土埃のする大地。
じっと立って眺めていると、おや?戦車? 戦車に似た車?が音をたてて走ってる。土煙をあげがらこちらに向かってやって来る。目の前で急ハンドルをきり、Uターン。
「ヒャッハー!」な世界だけに、それに乗る男達はザンバラ髪で真っ黒の肌をした卑しい顔つきばかり。さすがにモヒカンはいないか・・・モヒカンが混ざっていると「北斗の拳」や「マッドマックス」の世界になってしまうではないか。ここは笑うところか?

コイツら全然気づいてないな・・・と、走り去る戦車をただ眺めてました。



とまあ、こんな夢を久し振りに見たので、晴明様晴明神社訪問記でも挙げておきましょうかね鳥取砂丘もついでに。おっと、その前に・・・


なあまく さんまんだ ばざらだん せんだん まあかろしゃだ そわたや うんたらた かん まん(ーbー)

おん あべきゃべいろ しゃのう まかぼだら まにはんどまじんばら はらばりたや うん(ーbー)


厄除け、厄除け。



さて、8月23日京都・北野天満宮白峯神宮参拝の後、急ぎ参ったのは安倍晴明様晴明神社。

堀川今出川のバス停を降り白峯神宮の参拝を終えて堀川通りを南へ歩く
ここが堀川の起点?ここから水が地上を流れる?
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そして2~3分で晴明神社へ到着。一の鳥居。五芒星。異彩を放ってますね。
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左手に再現した一条戻橋式神は木の葉影に隠れてました。葉っぱ伸びすぎ。
朱いハチマキが可愛いですね。
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こちら本物の一条戻橋。


道路をまたぐカタチで二の鳥居。ここでやっと五芒星の門、本殿が見えます。
本殿に通じる参道の門も五芒星。左右で対にある柱は「青龍」「朱雀」「白虎」「玄武」のパネルが埋め込まれてますね。
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まっすぐにご本殿へ。・・・・ん?んん?何かヘンだ・・・
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あれ? はっぱり晴明様はご不在かな? ああ、そう言えばどこかへ行くとおっしゃっておられましたっけ。本殿はカラッポな気がする・・・

「安倍晴明さんが来た 2011/03/05(土) 11:43:41 」 (参照
http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/blog-entry-954.html


~抜粋~

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2011/3/5

~夢?ビジョン?~

※どこか遠くを突っ立ったまま見ている

ふいに背後から 狩衣・烏帽子姿の男性が私の右横に現れた

安倍晴明

「私が代わりに○○仙へ行くから、そなた(お前?)は行かなくても良いぞ」

いや、しかし・・・・

遠く視線の先には 衣冠束帯の男性達がいるようだ・・・


     (意識消滅)

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安倍晴明さんが御出現されたようにござります。w

○○仙 とは何だろう?

須弥山?

まさかね。ww

私はどこを目指して行こうとしていたのだろうか?

~抜粋終了~


その約一週間後、あの東北関東大震災が3月11日に起こり、まさかと思ったのですが・・・

その後じっくり考えてみて、○○仙とは仙台や気仙沼の地名ではなかったか?と気付き、とても悔しくてなりませんでした。何故もっと感じられなかったのかと自分自身に腹が立ちました。そして晴明様にも何故もっと詳しく説明して下さらないのかと思ったりもしました。しかし、高級霊であればあるほどその作用はかすかになり、肉体持ち(まだまだ下級霊な私)は感じにくいのですよね。その上彼等は何でもかんでもベラベラ喋ったり絶対にしませんので仕方がないのかも知れません。

「8.8 2011/03/12(土) 00:30:57」 (参照)
http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/blog-entry-957.html

私が参拝させて頂いたこの時も、もしかしたら東北で働いておられたのではないかと思っております。死者の魂を救うためではないかと。

そして今、晴明様はお帰りになっておられるはずです。


「気分は晴天! 2011/09/24(土) 10:46:54」 (参照)
http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/blog-entry-1057.html

~抜粋~

真っ白の日本的衣装、狩衣姿の男性とふわふわ飛びながら楽しく遊んで(何かおしゃべりしていた?)いたように思いますし、キリスト系の男性の姿(立ち姿)も拝見しました。
これは個人的なことだと認識し、夢日記にも書かないでいたのですが。


~抜粋終了~

この真っ白の狩衣姿の男性晴明様ではないかと感じます。おしゃべりしていた内容は何かハッキリしませんが、「帰ってきましたよ」とか「こんな様子でね」「こちらはどうでした?」「貴女はどうでしたか?」とか・・・そんな感じでウキウキと報告を兼ねてお話ししていた覚えがうっすらとありますから。

おそらくではありますが、日本の天下の一大事、天界からもたくさんの天使達が東北に降りて来られ、2万人近くの霊を支え導いて下さったのではないかと存じます。その中に陰陽師の晴明様もいらっしゃった、平安の高名な陰陽師達も何人もいらっしゃったのではないかと・・・神々様、天使様、仏様、イエス様、霊的世界で活躍された過去の偉人も総動員で。
だから澄み切った空気、爽やかな空気で心が満たされたのかも知れません。



おっと。
話が妄想劇のようになってまいりました。(いつものことですが)


さて、晴明神社のその他の写真をどぞ。
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あれ!今頃「天満社」の文字発見。末社・齋稲荷社の提灯に天満社。
やはり怨霊鎮めの陰陽師らしいね。
齋稲荷社賀茂の神社から、稲荷は晴明様自身だという噂もあったね。



晴明神社HP http://www.seimeijinja.jp/


@@!!??

あのね・・・あのですね・・・晴明神社のHPを見てわかったことなんですが、あの真っ白の狩衣姿の晴明様らしき方と夢の中で楽しくお話しした日は23日秋分の日の夜明け前頃で、その23日は晴明神社の晴明祭が行われる日だったようで。
し、し、信じられないけど、ご縁のある方には「帰ってきましたよ!」のご報告があったのではないかと察しますが・・・いかがです?




鳥取砂丘。8月25日。
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京都、北野天満宮・白峯神宮編

  • 2011/09/15(木) 00:50:31

天神様の夢から始まって、夢の中で食べてしまった梅干しの種の乳胚「天神さん」と呼ばれていることに気付き、以降「菅原道真様と空海様」シリーズを書いてきました。

その後、「ナオシマ!」と言う声を睡眠中に聞き、直島を調べているうちに崇徳天皇へ繋がりました。菅原公崇徳天皇怨霊伝説の方でした。怨霊伝説繋がり?

そしてまたもや京都へ行かねばならない気がして再び京都行き予約。北野天満宮白峯神宮を参拝させて頂くことに。 (最初は北野天満宮だけのつもりだったのですが、予約後の京都行き直前に崇徳天皇のお印を感じ、白峯神宮が北野天満宮にほど近いことを知ってびっくり!大慌てで白峯神宮へも参拝することにしたのです)

予約した8月23日「天神市」「弘法市」の仲を取り持つ23日でした。



2011年8月23日。
京都は北野天満宮白峯神宮、そして晴明神社へ参拝して参りました。
8月の京都はさぞや暑かろうと思いましたが、曇り空で助かりました。

北野天満宮と白峯神宮編。

鳥居を抜けるとだらけだった。
一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居。あちこちに牛。

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楼門 なかなかシブい楼門
ここまでしばらく歩き続けます。牛さんにもこんにちは!^^

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三光門 かなり手の込んだ彫刻などもあります。この中には「日月星」があると言うけれど、私にはわかりませんでした。星ってコレかな?
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あ、そうそう。石碑「日月星」を発見。これですね。
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三光門の前。四つの社があります。こちらにも手を合わせて頂きました。
火之御子社・老松社・白太夫社・福部社。
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本殿拝殿ここで手を合わせていると、閉じた目の中で頭上からまばゆい光がバシッ!バシッ!と二度ほど。歓迎して下さったのかな?
国家安寧を願い、菅原道真公にご挨拶させて頂きました。
有難うございました!^^

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本殿横、斜め裏、裏から。
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本殿裏手に廻り、摂社末社にもご挨拶。
特に地主社。ここは念入りに。元の神様ですからね。
他にも菅原道真公ゆかりの社や十二社、八社、四社の社など、すべて参拝。
竈社、文子天満宮、稲荷社、宗像社、猿田彦社、伴氏社も、逃さず参拝させて頂きました。いや、忙しい^^;
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本地仏である道真公自作の十一面観音様を祀る朝日山北野東向観音寺
ここにも立ち寄らせて頂き、感謝を。
十一面観音様には御世話になっておりますので・・・(清水寺編参照)
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宝物殿。残念ながら閉まっておりました。
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伴氏廊。土蜘蛛灯籠。
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北野天満宮 http://kitanotenmangu.or.jp/



深々と一礼して北野天満宮を後にして、206のバスに乗り、白峯神宮へ。


賑やかな道路沿いにあったので、つい見過ごしてしまうところでした。
こんな角度で写真撮影。近くに寄って撮影したら、鳥居を見上げることに。

境内の奥に見えるは舞殿?
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舞殿の奥に拝殿。その奥に本殿
崇徳天皇様に日本の安泰のためにそのパワーでお助け下さるよう願い、手を合わせました。
とても静かでした。とても落ち着いておられると感じたのは私だけかな?

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ぎっしりボールやらラケットやら陳列してありました。有名人はいるかな?
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崇徳天皇欽仰之碑、潜龍社、伴緒社にご挨拶させて頂き、蹴鞠の碑、蹴鞠の広場を眺める。
蹴鞠の碑。ボールをくるっとね。1回まわすつもりが2~3回廻ってしまった。か、軽い。軽すぎる・・・廻りすぎたってことはどういうことになるのん?
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小賀玉の木。樹齢八百年。京都最大の小賀玉の木だそうです。
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案外小さな神社だったのですが、崇徳天皇様にご挨拶出来ましたこと、嬉しく思います。良かった。とてもいい人だと感じました。

白峯神宮 http://www10.ocn.ne.jp/~siramine/index.html


さて、時間が余りました。地図を見ますと、晴明神社がすぐそこ!?

歩いて5分くらい? こ、これは参拝させて頂かなくては!!! 


と言うことで、京都・晴明神社編に続く(笑)



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菅原道真公(天神様)と弘法大師空海様 その7

  • 2011/08/18(木) 13:43:30

「弘法さんが晴れやったら、天神さんは雨や」

何とも仲の悪い二人である。8月の23日、京都行きのバスを予約している。北野天満宮へ参拝させて頂こうと思っている。弘法市が21日で天神市は25日仲を取り持つ23日とは何とも愉快な話やね。
何も出来ないから、参拝だけさせて頂くのだが・・・何を想うか悩む。


どうやら、この関連の夢解きを完成させなければ次に行けない気がする。
夢が降りてこない気がする。自分なりに解読しなければならないのだ。
決着をつけるということかな? たとえ間違っていたとしても何せ私のことだから薄識なのは当然である。神仏も納得して下さるだろう。薄い脳であることは百もご存知(笑)


始まったのがおそらくこの夢。

「三つの島? 2011/07/15(金) 08:18:27」  (参照)
http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/blog-entry-1018.html

私は色々な島々の写真を食い入るように見つめ、この島を隠岐諸島と結論を出した。後醍醐天皇が流され、後に「復活」した島だ。後醍醐天皇は、後に南北朝時代が開かれる原因となった人物であり、「倒幕」という言葉も見え隠れする。
キーワード①である宇多天皇、キーワード②である醍醐天皇の名を引き継いでいるのが後宇田天皇とその息子、後醍醐天皇

この後醍醐天皇の「復活」の言葉の意味を後で知ることになったが。・・・


その後、台風6号マーゴンによる四国八十八カ所21番札所「太龍寺」本堂の破壊が起こり、素盞嗚神社の御神木も倒された。その不思議な進路に疑問を持ち、自分なりに解析した。

「ショートコント・マーゴン 2011/07/24(日) 02:25:19」 (参照)
http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/blog-entry-1021.html

太龍寺空海に触れた。前から空海の謎には触れていたが、ここにきて空海創建の太龍寺が破壊されたという報に憤りを感じた。「おのれマーゴンめ!」


この記事を書いた直後、天神さんが我が家になったという夢を見たのが24日
ここで菅原道真という歴史上の存在に気づかされた。

「天神?うちが天神様に?何でだろう? 2011/07/24(日) 04:17:01」
http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/blog-entry-1022.html


天神を調べ、口の中で味のない種のようなものをもぐもぐしていたのが気に掛かり、それを調べて乳胚・梅干しの種「天神」であることを発見。菅原道真に間違いないとした。これが25日北野天満宮の神紋も梅だった。
同日、「反閇(へんばい)」で歩く自分の足を見る夢を見ている。
地鎮であることはすぐに察しがついたものの、何故地鎮?と不思議だった。

「天満宮と反閇(へんばい)2011/07/25(月) 11:07:03」 (参照)
http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/blog-entry-1024.html


そして考えに考えているとき30日頭上で一発の雷鳴と窓の外すぐ側に稲妻の青白い太い光が縦に走った。突然の大音響に夫婦でびっくりして心臓が口から飛び出そうになった。上賀茂神社へ参拝する前にも一発の落雷で家中がズシン!と揺れた。あの時と同じ現象が我が家のすぐ真上で起こった。
「道真公、これが返事なんやな!?」と、噛みついた。道真に噛みついて、よく死ななかった(殺されなかった)なと思う。

「雷鳴は雷神で菅原道真公 2011/07/30(土) 23:06:35」 (参照)
http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/blog-entry-1027.html



そして自分なりに考えて(参考に拝見したHPなどもあったし、コメント下さる忠武飛龍さんにも御世話になったりしたが)「菅原道真公(天神様)と弘法大師空海様」シリーズを書くこととなった。


途中、面白いことに気づいた点が2~3ある。

マーゴン「マーオン」であり、中国の安徽省にある馬鞍山の名前だ。
この馬鞍を逆さにすると「鞍馬」になる。鞍馬寺だ。


”鞍馬弘教立教後の寺の説明によると、鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」・千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている。鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。「尊天」のひとり、「護法魔王尊」とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという、” (wikiより抜粋)


実はここで私が開いた本は「数霊」深田剛史著で、少し遊んでみた。

クラマ(8・41・31)=80
マーオンは(31・2・1)=79

「マーオン」を「マアヲン」とすると・・・

(31・1・47・1)=80 クラマと同じになった(笑)

鞍馬まで含めて考えていると、頭が混乱しすぎるので取り合えず却下(笑)


イザナギ(5・56・21・55)=137
イザナミ(5・56・21・35)=117


この二人が成し遂げたのは国産み
クニウミ(8・25・3・35)=71

菅原道真の神名は天神
テンジン(19・1・60・1)=81

道真に深く関与したイザナミの後ろにはククリヒメ
ククリヒメを神話に出てくる漢字「菊理媛」を素直に読むとキクリヒメ
キクリヒメ(10・8・45・30・34)=127

菊理媛がおわすのは白山
ハクサン(26・8・11・1)=46

イザナギ(137)とイザナミ(117)の間で作用した菊理媛(127)
117-127-137

道真(天神)の後ろにも菊理媛の白山がある
テンジン(81)+ハクサン(46)=127(菊理媛)

白山が新たな国産みをしたらばどうなるか?
ハクサン(46)+クニウミ(71)=117(イザナミの世)

天と地
テン(19・1)=20
チ(20)=20



カミ(6・35)=41  41の音は「ラ」 

天と地とヒト。
神の天地は40、残る1の数は「ア」

アワ(1・46)=47 
ヒト(30・17)=47



ふ~ん・・・ 面白い。

あら、話がそれた・・・


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菅原道真公(天神様)と弘法大師空海様 その6

  • 2011/08/15(月) 14:19:02

さて、黄泉比良坂(よもつひらさか)で対峙して口論を始めたイザナミイザナギの間に不思議な存在が現れる。


菊理媛。ククリヒメ。


~wikiより抜粋~

”日本神話においては、『古事記』や『日本書紀』本文には登場せず、『日本書紀』の一書に一度だけ出てくるのみである。”


”神産みで伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、そこで伊弉冉尊と口論になる。そこに泉守道者が現れ、伊弉冉尊の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言い、菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれを褒め、帰って行った、とある。菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない。

この説話から、菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされている。また、死者(伊弉冉尊)と生者(伊奘諾尊)の間を取り持ったことからシャーマン(巫女)の女神ではないかとも言われている。ケガレを払う神格ともされる。

神名の「ククリ」は「括り」の意で、伊奘諾尊と伊弉冉尊の仲を取り持ったことからの神名と考えられる。他に、糸を紡ぐ(括る)ことに関係があるとする説、「潜り」の意で水神であるとする説、「聞き入れる」が転じたものとする説などがある。”


~抜粋終了~


菊理媛が何をささやいたのか不明らしいが、イザナミとイザナギの口論を止め、イザナギが納得したように帰って行ったことがわかる。

これによって両者の住まう場所が決められたのだ。「陰」側と「陽」側に別れたのだ。

菊理媛は陰か?陽か? あるいは真ん中か? 何故、黄泉比良坂(よもつひらさか)だけに菊理媛は現れたのか?


黄泉とも通じ、現界とも通じる境目の神であろうと思う。陰陽のちょうど中間、ど真ん中なのだろう。イザナミとイザナギを括るのではなく、両者を完全に離したのだそれによりイザナミは陰としてイザナギは陽として別れた。

それぞれにお役目を果たさせるのが「締めくくり」という菊理媛の働きではなかったか?
菊理媛は、ご縁(働き)を正しく導く神ではなかろうか?


イザナミの背後には菊理媛がおられる。白山白山比神

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白山比神社には主神(御祭神)である菊理媛と共にイザナミ・イザナギの神も祀られる。
白山から京都・愛宕山を線で結ぶと、その延長線上には南西方向には鳴門がある。「愛宕」の背後には「艮」に白山、「坤」に鳴門の渦

つまり、菅原道真の背後には菊理媛もいたのである。

菊理媛は密教でいえば「十一面観音」であるとも言われる。

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空海が唐より帰国し、太宰府にて許しを待っていたのは事実であり、嵯峨天皇の御代になってようやく許しを得、やっと入京することができた。
唐より持ち帰った膨大な経文・仏像・密教の法具・曼荼羅・法衣などの中に、十一面観音像は三体あったと記されている。これらにより密教は爆発的に世に広まったとされる。太宰府にいた頃、それらの膨大な経文なども太宰府にあったのだろう。

当然の事ながら、空海の背後にも十一面観音(菊理媛)はいたことになる。
御仏の教えを持ち帰ったのは空海本人なのだから。
イザナミも背後にいた。黄泉を統べる王なのだから、仏教の唱える涅槃に関係があるのは当然であろう。



キーワードその① 宇多天皇
キーワードその② 醍醐天皇
キーワードその③ 藤原時平
キーワードその④ 真言院・仁和寺・真言密教・弘法御大師空海
キーワードその⑤ 清涼殿落雷事件
キーワードその⑥ 愛宕山


ひとつ忘れていたのが

キーワードその⑦ 太宰府

そして

キーワードその⑧ イザナミ
キーワードその⑨ 菊理媛(十一面観音) 白山 


不思議なのは、白山を開山した泰澄天武天皇11年6月11日(682年7月20日) - 神護景雲元年3月18日(767年4月20日)で、20になっている。



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菅原道真公(天神様)と弘法大師空海様 その5

  • 2011/08/12(金) 10:22:57

鳴門の渦潮はちょうど中央構造線が四国から抜けたところにある。
波と波がぶつかって、ぐるぐると渦を巻く。地球全土でも珍しいポイントだ。

この渦はどこから発生するのか?
天と地でいうなら、「地」の渦だと思う。
地の奥深く、闇の根源。


私は常々、四国は胎児だと感じていた。水に浮かぶ胎児。
未開発の、まだ独り立ちできない胎児だと思っていた。
へその緒は淡路島か? パイプだ。だから淡「路」と書く。へその緒。

胎児は黄泉(霊界)と現界の境目に存在する。現界の人もまだ知らない存在。
しかし、確かにそこに存在している。外からは見えないのだ。




・・・・・・・・・・・


イザナミに触れてきたが、阿波忌部も関わってくる。
阿波忌部藤原氏(中臣氏)によって歴史の闇に葬られた氏族である。
空海も讃岐忌部の血を引く者とも言われている。

忌部

何とも奇妙な氏族ではないか。 「忌」という不吉な名を付けられたのは何故かと言えば、その後の歴史改ざんした者達が闇に葬るに相応しい名を付けたかったのだろう。
「いまわしい」という意味を持つ「忌」も冥府に関連している。
天皇の祭祀を司っていた忌部が、この名を持つのは不自然ではあるまいか?


忌部氏もやはりイザナミとの縁を感じる。


イザナミカグツチ(火の神)を産んだため、それが原因で死んだ。
我が子を恨む母親などいないように、イザナミカグツチ可愛い我が子と思っていたに違いない。火である我が子なら、イザナミは火も操れるということになる。

今、香川県直島町側は井島(いしま)で山火事が9日に発生している・・・いまだ燻り続け、鎮火していない。これはどういう意味か?
四国は「伊予の二名島」として生まれた島だ。「伊」は阿波・讃岐を指す。
イザナギ・イザナミによって 国産み により生まれた島だ。
その「伊予」の「伊」の讃岐の井島が燃やされた。




だらだら書いても決着がつかず混乱するだけなので、元を話に戻そう。

何故、菅原道真弘法大師空海と深い繋がりがあるのか?


陰陽で言えば 道真は「陰」 空海は「陽」 であると思う。

空海は835年4月22日に入定した。
道真は845年8月1日に誕生している。


空海の死後、わずか10年の短いサイクルで「陰」「陽」が生死を経て入れ替わったのだ。そしてその時代を象徴するように生きて歴史を刻んだ。

道真はであったために怨霊と恐れられ、祟り神とされた。「ナミ」
空海はであったために仏(神)の隣に座する者と讃えられた。「ナギ」

道真は祟り神であったから鎮めるために「天神」という神の位置を与えられた。
空海は自ら仏となり高野山に入り、そこから神の如く国を見守っている。

それは現代でも語り継がれている。



表向きはこうだろう。しかし、人として生きていた時代、彼等の本心(魂)はどうだったろうか?


学者、政治家として心から天皇を支え続けた道真。家系も含め若くして目をかけられ、その時代の貴族として脚光を浴び、正道を歩んできた道真。
仏とは何か、涅槃とは?と考え続け、孤独の中一人考え続けた空海。苦しい修行の末に掴んだ光明。そして故郷である四国を結界によって目隠しした。

生き様は正反対ではないのか?陰陽が逆転している?


道真は空海の悲しさ、悔しさ、心の闇を知っているのではないか?私と同じではないかと言っているのではないか?
陰陽を併せ持つのが人だと言っているのではないか?
おそらく、結界を張った四国の謎も知っているのではないか?


イザナミに力を借りて清涼殿を雷雨と落雷によって破壊した道真は、現代にも同じ事をしようとしているのかも知れない。背後のイザナミは国産みの神なのだ。どれほど強大であるかわかるだろう。陰陽の陰なのだ。


マーゴンを使って阿波徳島の太龍寺を破壊したのは空海の結界を破ろうとしたため。唐(中国)由来の名前を持つ台風だ。道真にも空海にも日本にもご縁があるのは当然だ。

台風は太極図にも似ている・・・

マーゴンは幾重にも結界が施された京都や奈良、和歌山には通用しなかったし、古来よりの日本の神々に止められはしたが・・・(小さな損害はあったが)合図になった。


「行くぞ」


プロセス(道)のひとつだ。この世に存在できるひとつひとつに用意してあるプロセスだと思う。それは自分にも用意されているし、誰も彼もが用意されているはずだ。百億の命があれば、百億のプロセスがある。

では何に行き着くためのプロセスだ?

破壊と創造、新しい生命が芽吹くための道なのだ。
そのためには古い殻を破り、真っ新な状態にしなければならないのだ。


イザナギイザナミと対にならなければならない。そしてひとつにならなければならない。1から2が生まれ、また1になり、3になり・・・これが国産みだろう。

時代と共に紡いできた糸(意図)は、いったん解かれ、また編まれるのだろう。
解かれる時、それが今の「時代」なのだろう。

イザナギイザナミ黄泉比良坂(よもつひらさか)で対峙した。
そこに泉守道者が現れ、イザナミの言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」とイザナギに言った。

「イザナミからのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」



イザナミとイザナギの居所はこれにて決定された。
これが現代までのプロセスであった。


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菅原道真公(天神様)と弘法大師空海様 その4

  • 2011/08/09(火) 15:53:37

そしてもうひとつ。
清涼殿に落雷したのは南西の1本の柱ということに注目。

南西とは「坤」であり、裏鬼門にあたる。平安京の鬼門比叡山延暦寺にて護られ、裏鬼門石清水八幡宮にて護られていた。

坤」は八卦では三爻のすべてが陰で構成されるとある。
「陰」とは重く濁った暗黒の気であり、闇・暗・柔・水・冬・夜・植物・女などが当てはまる。
陰陽道では陰極まったところが「坤」であるとしている。



イザナミは黄泉であり陰であり、「波」である。

一方、イザナギは反対に天であり「陽」であり、光・明・剛・火・夏・昼・動物・男などであり、「凪」である。


対極図 太極図を見て頂ければわかる。

これが原初の初動であり、この対極の渦がすべての根源でもある。
taikyokuzu.png


陰陽互根
陰があれば陽があり、陽があれば陰があるように、互いが存在することで己が成り立つ考え方。

陰陽転化
循環律とも言い、陰陽の質的な変化である。陰極まれば陽極まり、陽極まれば陰極まる。


渦を巻くには両極あってからこそ始まるのだ。一つの点が二つになり、渦となってまた一つになる。陰陽極まれり。



私も不得手なので八卦、陰陽道から離れよう。

平安京の南西・裏鬼門の守護をしていたのは石清水八幡宮。


石清水八幡宮
Iwashimizu_hachimangu02s3200.jpg

”京都の北東にある比叡山延暦寺と対峙して京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護の神、王権・水運の神として皇室・朝廷より篤い信仰を受け、天皇・上皇・法皇などの行幸啓は250余を数える。”

”創建以来、幕末までは神仏習合の宮寺で石清水八幡宮護国寺と称し、東寺(教王護国寺)や清水寺、比叡山延暦寺、仁和寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、相国寺、大安寺など、多くの寺院との歴史的関連が深い。”


(wikiより抜粋)


平安仏教は桓武天皇の御代より、最澄が唐から持ち帰った天台宗(台密)空海が持ち帰った真言宗(東密)を保護し、大切にされてきた。
石清水八幡宮は、弘法大師空海や最澄にもご縁が深い神聖なる社なのだ。


イザナミは清涼殿の南西の柱に陰の印を置いた。イザナミの破壊の印だ。
イザナミの前に立つのは霹靂を飛ばしながら進む菅原道真だ。雷神だ。


イザナミを後ろ盾に道真は言う。
「いい加減にせねば門を開くぞ、それでも良いか」

鬼門・裏鬼門は神々が通る道(門)とされる。古来よりの神々を閉じ込めた道へ通ずる門だ。「坤」の対極は「艮」である。



石清水八幡宮と言えば、私も随分前に悩まされたところだった。

「石清水八幡宮と茶室 2010/12/22(水) 07:15:08」 (参照)
http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/blog-entry-926.html

夢の中の山道で何かを必死で探している私の前に袈裟を着たお坊さんが現れ、「あの竹庵(茶室)はいいいでっしゃろ?」と京都弁でお話しになった。私は「いいえ、私が探しているのは竹庵(茶室)ではありません」と答えた。
それが石清水八幡宮を探していたのだということに気づくのは、もう少し後になってからだったが。



イザナミとは、黄泉・冥界の王であり、黄泉とは死者を抱くところ。

死者とは何か? どこへ辿り着こうとする者なのか?

空海が結界を張った四国、四国八十八カ所参りは死者を弔う寺で構成される。
空海が入定した高野山は四国を眺める(見守る)位置にある。


空海はイザナミを慰める術を心なしか知っていたのではないか?

「波」であるイザナミの力は、時には巨大な津波にもなり、さざ波にもなる。
「波」とは、水だけではない。生物の震動、地の震動、宇宙の震動も「波」 




四国八十八カ所

~wikiより抜粋~

”古代から、都から遠く離れた四国は辺地(へじ・へぢ)と呼ばれていた。平安時代頃には修験者の修行の道であり、讃岐国に生れた若き日の空海もその一人であったといわれている。空海の入定後、修行僧らが大師の足跡を辿って遍歴の旅を始めた。これが四国遍路の原型とされる。”

~抜粋終了~


大事なのは中央構造線の大切さを知っていたからに他ならないと思う。
地震波も波であり、地の深いところ、地の渦を感じておられたに違いない。
ここを防がねばならない、ここを守らなければ大変なことになる。国が転覆する・・・そう思ったのではないか?


中央構造線の線を四国で分断してしまえば、影響は少なくなる。
四国はど真ん中なのだ。


※追記(2011/8/12)
「太極図」を「対極図」と書き間違えていたので訂正。失礼しました。
阿呆やから、堪忍どすえ。



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菅原道真公(天神様)と弘法大師空海様 その3

  • 2011/08/07(日) 11:06:03

930年7月24日(延長8年6月26日に起こった清涼殿落雷事件は、まさに道真を貶めた張本人らを狙ったかに見える。

ここで注目すべきは「午後1時頃より愛宕山上空から黒雲が垂れ込めて平安京を覆いつくして雷雨が降り注ぎ、それから凡そ1時間半後に清涼殿の南西の第一柱に落雷が直撃した。」とあるように、キーワードは愛宕山にある。

キーワードその⑥ 愛宕山


愛宕山
Atago01.jpg

~wikiより抜粋~

”京都盆地の西北にそびえ、京都盆地東北の比叡山と並び古くより信仰対象の山とされた。神護寺などの寺社が愛宕山系の高雄山にある。山頂には愛宕神社があり、古来より火伏せの神様として京都の住民の信仰を集め、全国各地にも広がっている。”

~抜粋終了~

愛宕山系にある神護寺空海の滞在していた場所。和気清麻呂公が開基であるが、私はこの和気氏についても以前、彼の足の弱々しい筋肉のビジョンやうり坊の夢を見ている。

「うり坊と和気清麻呂公 2010/12/28(火) 00:28:59」 (参照)
http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/blog-entry-927.html

和気清麻呂宇佐八幡宮神託事件で流罪となった。後に復帰するが・・・


そして問題は、山頂にある愛宕神社だ。
Atago-shrine_Kyoto.jpg


京都市右京区の神社である。山城・丹波国境の愛宕山(標高924メートル)山頂にある。旧社格は府社。全国約900社の愛宕神社の総本社である。旧称阿多古神社、通称 愛宕さん。(wikiより)

(和気清麻呂はここ愛宕神社にも関係している。)


愛宕神社
本殿
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
埴山姫神(はにやすひめのかみ)
天熊人命(あめのくまひとのみこと)
稚産霊神(わくむすひのかみ)
豊受姫命(とようけひめのみこと)


若宮
雷神(いかづちのかみ)
迦遇槌命(かぐつちのみこと)
破无神(はむしのかみ)



「日本紀略」などの記録によれば、愛宕山の山頂から黒雲が垂れ込め、平安京を飲み込んだとある

「あら、夕立かしら?いやあねえ」なんてアンニュイな表現では表現しきれないほどの殺気だった陰気な黒雲だったと推測される。そらそうだろう、イザナミのお社がある山頂なのだから。
この時に強大な作用をしたのがイザナミイカヅチノカミだったはずだ。

やはり道真は冥府の王の僕となっていたのではあるまいか?
道真の恨み、憎しみ、哀しみを受け止めていたのはイザナミではあるまいか?



思い出してみれば、延喜式の編纂を最初に始めたのが醍醐天皇だった。藤原時平と共に編纂にあたっている。
藤原時平・醍醐天皇の死後、藤原忠平へと引き継がれ、編纂は完成した。
藤原氏にとって都合の良い編纂となっているはずだ。

こんなことも怒りの対象になっていまいか?


6月24日に私が訪れた京都・嵐山

「京都・櫟谷宗像神社と野宮神社編 2011/06/30(木) 10:45:14」 (参照)
http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/blog-entry-1007.html

渡月橋から眺め、ちょこんとてっぺんが出っ張った山をじっと見ていた。
あの山は何と言う山か?と、とても気になった。
写真も撮っていた。ブログにもUPしていた。これが愛宕山だったとは・・・
まさかこんな夢の続きが見られるとは思わなかった、あの時は。
嵐山で見た愛宕山を再び見るとは・・・
arasiyama 024


話は戻り、愛宕神社は古くから火伏せ・防火に霊験のある神社と言われる。
火伏せとは何か? 火を伏せること。火を消すこと。

では水神か?と普通は考えるところだが、私は火の神だと思う。
火を以て火を制す。火を自在に操れる神だからこそ伏せることが出来るのだと思う。火よりも強い火。火を噴くことも自在に出来る。
それに列するは雷神かも知れない。


イザナミ火神と雷神によって清涼殿を攻めたのかも知れない。
黄泉の王と呼ばれるイザナミは、道真醍醐天皇らを道連れにすることを許したのかも知れない。



追記(2011/8/7 pm10:53)

自分で撮った愛宕山の写真をじっと見ていた。

わかりますか?

これ、オッパイなんです。

イザナギ様のオッパイなんですよ。向かって右側に頭を延べて、腕を頭まで伸ばし、オッパイを露出させる図

さあ、乳を飲みなさい、私の乳は甘くて黒い・・・

闇と共に光も飲み干しなさい・・・


こんな声が聞こえそうなのですが・・・・・(糖質なのかな、やっぱり?)


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菅原道真公(天神様)と弘法大師空海様 その2

  • 2011/08/06(土) 20:26:49

醍醐天皇。
Emperor_Daigo.jpg

元慶9年1月18日(885年2月6日)- 延長8年9月29日(930年10月23日)

~wikiより抜粋~

”元慶9年(885年)1月18日、源定省の長男・源維城として生まれる。仁和3年(887年)、父の皇籍復帰・即位宇多天皇)に伴い、皇族に列することになった。寛平元年(889年)12月28日に親王宣下、同2年(890年)12月17日に敦仁に改名。同5年(893年)4月2日に立太子。同9年(897年)7月3日に元服し、同日践祚、同月13日に即位。父帝の訓示を受けて藤原時平・菅原道真を左右大臣とし、政務を任せる。その治世は34年の長きにわたり、摂関を置かずに形式上は親政を行ったため、後世「延喜の治」と崇められた。”

”しかし昌泰4年(901年)、時平の讒言を聞き菅原道真を大宰権帥に貶めた昌泰の変は、聖代の瑕と評されることもあった。近年では、この事件は天皇と時平による宇多上皇の政治力排除のための行動であったと考えられている。また、同年に時平の妹である藤原穏子(後に中宮)が女御に立っており、宇多上皇が採ってきた藤原氏に対する抑制政策を転換していることも変と関係していると考えられている。”

”天皇ははじめ、中宮藤原穏子との間に儲けた長子保明親王を東宮の座に据えたが、早世。そのためその子慶頼王を皇太孫としたが、やはり夭折した。一連の不幸は菅原道真の怨霊の仕業と噂され、延喜23年(923年)になって、天皇は道真を左遷した詔を破棄し、右大臣に復し贈位を行い、その慰霊に努めた。”

”延長8年(930年)の清涼殿落雷事件以降体調を崩し、9月22日、病篤きによって皇太子寛明親王に譲位。その7日後の29日に崩御。宝算46。翌月10日、山城国宇治郡山科陵(醍醐寺の北、笠取山の西、小野寺の下)に土葬された。”


~抜粋終了~


大変なことしちゃったなというのがその後の醍醐天皇の本音。
以来、道真を慰霊することに務めたが、清涼殿落雷事件が発端となり病に冒され、没する。

道真にとっては自業自得よ ということか。
宇多天皇藤原氏抑制政策を裏返した醍醐天皇も、結局は「延喜の治」と呼ばれた親政も「寛平の治」を行った宇田天皇の二番煎じだった。

藤原氏の勢力の強さに感服してしまうが、宇多天皇を仕立てた頃は藤原氏にとって強い者はいなかったのが痛いところだった。すべては藤原氏の操る糸が元であり、傀儡として表立った天皇達は哀れでもある。



藤原時平。

貞観13年(871年) - 延喜9年4月4日(909年4月26日)

~wikiより抜粋~

”関白藤原基経の長男であり、若くして栄達するが、父の死の時点ではまだ年若く、宇多天皇は親政をはじめ、皇親である源氏や学者の菅原道真を起用した。醍醐天皇が即位すると道真とともに左右大臣に並ぶが、次第に対立し道真を遂に讒言して大宰府へ左遷させた。政権を掌握すると意欲的に改革に着手するが、39歳の若さで死去した。その早すぎる死は怨霊となった道真の祟りと噂された。”

~抜粋終了~

宇多天皇、菅原道真を裏へ葬った「昌泰の変」よりわずか8年後、没する。

不思議なのは、この時平讃岐守として讃岐国へ赴任している。

菅原道真(886年1月16日)赴任
藤原時平(889年1月16日)赴任


同日という不思議が、やはり因縁を感じずにはおられない。


讃岐国



弘法大師空海。
Kukai2.jpg

宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日)

この方も超有名なので省かせて頂きます。

~wikiより抜粋~

”ところでこの時期、一沙門より「虚空蔵求聞持法」を授かったことはよく知られるところである。『三教指帰』の序文には、空海が阿波の大瀧岳(現在の太竜寺山付近)や土佐の室戸岬などで求聞持法を修ましたことが記され、とくに室戸岬の御厨人窟(みくろど)で修行をしているとき、口に明星が飛び込んできたと記されている。このとき空海は悟りを開いたといわれ、当時の御厨人窟は海岸線が今よりも上にあり、洞窟の中で空海が目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗ったと伝わっている。”

長安で空海が師事したのは、まず醴泉寺の印度僧般若三蔵。密教を学ぶために必須の梵語に磨きをかけたものと考えられている。空海はこの般若三蔵から梵語の経本や新訳経典を与えられている。

5月になると空海は、密教の第七祖である唐長安青龍寺恵果和尚を訪ね、以降約半年にわたって師事することになる。6月13日に大悲胎蔵の学法灌頂、7月に金剛界の灌頂を受ける。”

承和2年(835年)、1月8日より宮中で後七日御修法を修す。宮中での御修法はこれより明治になるまで続き、明治以後は東寺に場所を移して今も行われている。1月22日には、真言宗の年分度者3人を申請して許可されている。2月30日、金剛峯寺が定額寺となった。3月15日、高野山で弟子達に遺告を与え、3月21日に入滅した。享年62(満60歳没) ”


~抜粋終了~

空海こそ当時の天才であり、作詞・文学理論・思想・書などの多方面の才能をあますところなく発揮した人物だった。

太宰府で待ち続けた入京は、嵯峨天皇の許しを得てやっと京へ帰ることが出来た。

812年には高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇(神護寺
816年には修禅の道場として高野山開創のため下賜を賜り、翌年から着手した。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ここで気づいたことがある。宇多天皇に関係する重要人物は和暦、西暦含め20~30日の間の日付で亡くなってる。宇多天皇を除く全員だ。

空海が開いた四国阿波・太龍寺21番札所で21、台風マーゴンが徳島に上陸したのが20日未明で20となる。
やはりマーゴンは唐(中国)よりの使者かも知れない。

空海は20年の約束を切り上げて、たった2年で唐より帰国。

宇田天皇が出家し、東寺で受戒した後仁和寺に入ったのが10月24日

昌泰の変が起こり、道真が突如醍醐天皇の宣命によって降格、太宰府行きを決定されたのが1月24日

宇多天皇が即位した頃の「阿衡事件」仁和3年(887年)11月21日


阿衡事件



ここで忘れてならないのが「清涼殿落雷事件」

これが元で醍醐天皇は死亡した藤原時平に、太宰府にいる菅原道真を監視するよう命じられていた大納言民部卿の藤原清貫が落雷によって即死
この時から道真「雷神」と言われるようになった。


キーワードその⑤ 清涼殿落雷事件


清涼殿落雷事件

延長8年6月26日(ユリウス暦930年7月24日

~wikiより抜粋~

”この年、平安京周辺は干害に見舞われており、6月26日に雨乞の実施の是非について醍醐天皇がいる清涼殿において太政官の会議が開かれることとなった。ところが、午後1時頃より愛宕山上空から黒雲が垂れ込めて平安京を覆いつくして雷雨が降り注ぎ、それから凡そ1時間半後に清涼殿の南西の第一柱に落雷が直撃した。 

~抜粋終了~



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菅原道真公(天神様)と弘法大師空海様 その1

  • 2011/08/06(土) 08:39:27

夢日記を開いて見開きの図を眺める。
やれやれ、どこから書けば良いのやら、とんとわからない。
ザッと流してみる。

まずは宇多天皇。
Emperor_Uda.jpg


貞観9年5月5日(867年6月10日) - 承平元年7月19日(931年9月3日)

光孝天皇の第七皇子であった彼は、光孝天皇が重篤状態になった際、後継者を指名していなかったため、時の権力者・藤原基経によって、当時臣籍降下させられ源氏としていた彼を皇族に復帰させ、皇太子に仕立て上げられた。藤原基経自身は彼を気に入ってはいなかったようだが、光孝天皇崩御で即時天皇として即位する。宇多天皇20歳の頃。

宇多天皇としての治世の職務を果たし、その一環である「寛平の治」は、基経の嫡子時平を参議にする一方で、源氏や藤原保則、菅原道真といった藤原北家嫡流から離れた人々も抜擢した。皇族・貴族からのブーイングもあったが、それらを切り抜け、やがて藤原基経の死から思うように政治に着手できるようになった。藤原基経の息子・藤原時平を参議にしたのは、藤原基経への思いやりだった。彼、宇多天皇のこうした親政のこの流れは、息子・醍醐天皇時代などにまで及ぶ。

宇多天皇の重鎮として藤原時平と共に並ぶ菅原道真は、学者筋であったため頭脳明晰でありクールに政治を行うため、感情的な時平と衝突することも度々あり、時折宇多天皇の元へ相談に行っていたこともある。

宇多天皇が菅原道真を高く評価していたのは、その昇進ぶりでよくわかる。
しかし宇多天皇は突如、醍醐天皇に譲位し出家。真言宗は東寺で受戒した後、仁和寺の仏門に入り、法皇となる。菅原道真はこの時、藤原時平の次のポストである大納言へ昇進する。
これは、仏道に専念するためであるとも言われるが、藤原家との確執がからんでいるのは間違いないようだ。彼等の突き上げを回避するため、譲位したと考えられる。

仁和寺は宇多天皇が開基であり、内裏には真言院があった。(実は何年か前、私はこの真言院関係の夢を見ています。掛け軸を私が真言院へ持って行ったという夢ですが・・・当時は意味不明でさっぱりでした。このブログのどこかにその頃の夢も書き残してあります。)

真言院は文字通り真言宗であり、空海様が開祖である。
内裏では今で言う神道とともに真言宗を筆頭に仏教も大切にしてきた。

出家した後も宇多天皇は左大臣・藤原時平ではなく右大臣・菅原道真を味方につけており、醍醐天皇の後ろから政権を握っていた。菅原道真を重要ポストにつけろと醍醐天皇に指示したのも宇多天皇。

面白くないのが藤原時平であり、恨みもあったろうと思われる。
何せ宇多天皇を天皇に仕立て上げたのが父である藤原基経であったからだ。

「誰のお陰で帝になれた、私の父のお陰ではないか!」

時平はやがて醍醐天皇の御代に菅原道真を窮地に陥れ、太宰府へ左遷させる。

それが「昌泰の変」(901年)

宇多天皇醍醐天皇に左遷に決まった道真を救ってくれと内裏へ向かい、相談を持ちかけるが拒否される。
醍醐天皇時平と結託し、宇多天皇(上皇)とその派・菅原道真を討ち取ったのだった。醍醐天皇と藤原時平の勝利だった。



この宇多天皇が大きなキーワードとなる。キーワードその①

そして息子・醍醐天皇が次のキーワードとなる。キーワードその②

そしてキーワードその③藤原時平

キーワードその④真言院・仁和寺・真言密教・弘法御大師空海




さて、次に菅原道真公。
Sugawara_Michizane.jpg


もうすでにご存知であろう超有名な方なので省かせて頂く。
この菅原道真公が最も威力を発揮するのは死後であり、その要所が太宰府

承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日)

~wikiより抜粋~

”菅原 道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家である。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。

宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣藤原時平に讒訴され、大宰府へ権帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。”


~抜粋終了~

道真は家系の血もあり漢文・漢詩の第一人者であり、文章博士であった。菅家廊下の門人は「竜門」と呼ばれ、一時期は内裏で総勢100人はいよういかと思われるほどで、その世界に於いては功成を誇った。彼も才猛る天才であったのだろう。道真に教えを請う門人は沢山いた。
その道真の博識・知性を高く評価したのが宇多天皇であり、最も彼を理解するものとして支え続けた。これは、藤原氏に対する牽制の意味でもあった。

讃岐国に一時下向し、讃岐守として勤める。讃岐弘法大師空海の生まれ故郷だ。おそらく彼もそれくらいのことは知っていたであろうと思われる。
ここにも空海との因縁を見ることができる。

弘法大師空海ほどではないが、道真も時代の寵児、スーパースターだったのだろう。
とんとん拍子で出世していく道真ではあったが、「昌泰の変」(901年)であらぬ疑いをかけられ、太宰府へ左遷され、2年後太宰府で没する。青天の霹靂とは、まさにこのことと思われたに違いない。

昌泰の変

「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

京を去るときに詠んだ歌はあまりにも有名。彼の悲しみがひしひしと伝わってくるようだ。
彼は決してお上(多分、宇多天皇)を恨まなかったという。彼が恨んだとするなら、藤原時平と醍醐天皇だ。

921年、その醍醐天皇空海「弘法大師」という諡号を与えている。

道真は思ったろう。
なぜ私は流罪で空海は諡号なのだ?

同じく空海と似たその時代の天才であったがゆえに、怒りを感じたはずだ。
魂は永遠と言うが、道真は醍醐天皇のその所業を空から見て怒り狂ったかも知れない。これが霹靂だ。

しかし、唐の滅亡により遣唐使を廃止させたのは道真である。
空海が私費で決死の思いで海を渡った遣唐使船は、その後再び海を渡ることはなかった。

空海真言密教を日本に持ち帰ることが出来たのは、遣唐使船があったからこそであり、阿倍仲麻呂・吉備真備・円仁・山上憶良なども唐へ渡っている。
空海入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡の一人であり、また反対に鑑真は日本へと渡って来た。
空海の遣唐使への思いは深いものがあったろうし、遣唐使廃止の報をあの世で聞いて寂しさを感じていたのかも知れない。思い出深いものであったから。




太宰府。
Dazaihu_keinai.jpg


この地は道真が没した地であり、空海が唐より帰国した後で一時滞在した場所でもある。太宰府天満宮が道真が葬られた場所で、道真の墓所のようなものだろう。

空海は太宰府で真言密教の第一号の法要を行っている。
当時の太宰府の役人、田中小弐という人物が空海に妻の葬儀(法要)を依頼したのが最初の空海の真言密教式法要だと言われる。
太宰府時代、個人の法要などを引き受けて細々と暮らしていたようだ。

遣唐使として20年滞在の約束を守らず、わずか2年で帰国した空海闕期(けつご)の罪にあたるとして実は罪人だったのだ。お上に知れて帰国したとたん流罪になるとしても、すでに太宰府にいたのだから帰国と同時に流罪の処罰を受けているようなもの。京には帰れなかったのだから。
太宰府では持ち帰った仏典などを整理しながら過ごしたが、唐に渡るときの天皇、桓武天皇が崩御していたので、次の天皇・平城天皇の許しを得るために彼は辛抱強く待っていた。

大同4年(809年)、平城天皇が退位し、嵯峨天皇が即位した。空海は、まず和泉国へ向かい、槇尾山寺に滞在し、7月の太政官符を待って入京和気氏の私寺であった高雄山寺(後の神護寺)に入った。(wikiより抜粋)


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菅原道真公(天神様)と弘法大師空海様~前書き~

  • 2011/08/02(火) 11:59:27

さて、私が思うにやはり歴史とは偉大なものであるということで、人というのもやはり偉大なものであるとも言えます。

ここに菅原道真公という人があらせられ、対岸に弘法大師空海様という人があらせられる。この人達は似て非なるもの、対極に座しておられる。

人は天を仰いでばかりいては方手落ちで、実は地の深くまで見なければならない存在なのだと思う。天とは何か、地とは何か。これを名指すものは天神地祇。
天津神、国津神とも言います。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と申しますが、天とは人の頭上高くそびえ君臨せられるもの、地とは人の足元の根の深くにおわすものと、簡単に言えばそうなりますが、では根の深いところとは何か?


冥府。黄泉。


ここに君臨せられる王とは何か?
イザナギイザナミを追って通った道は黄泉比良坂(よもつひらさか)であり、辿り着いたのは根の堅州国(ねのかたすくに)。

オリュンポス十二神のハーデース。
ツクヨミ。
閻魔大王。
ヘル。


説は色々ありますが、天と地に存在するものはバランスよく配置され、反映されるものだと考えます。その反映とは何に対してのことなのか?
つまり人であると考えます。歴史の中で蠢く人々はそれぞれに道を通って辿り着くものなのですね。

天の渦と地の渦がちょうど交わるところが人・ヒ・霊であり、その地上を統べる女神が豊穣の女神、水の女神、地の女神、火の女神、山の女神様などであり、それに付き従う精霊達。

霊はそれぞれにお役を頂き、この現界(現世)を創りだす。これが縦糸横糸の働きであり、その働きは光となり音となり震動となり広がっていく。

青天の霹靂。という言葉があります。雷を例えに出した言葉です。

天から音が降る雷鳴、地を貫く火柱。イカヅチ。雷神。伝令。
このイカヅチの働きは根本から変えるという意味も含まれます。つまり破壊と創造の働き。天から降り、地を貫き、1本の道を作る。人や動物、植物までもが畏れ入り、その激しさに身を震わし、おののく。堪忍して下さいと平伏す。

1本の道とは?

天と地を結ぶ柱であり、天界(天の王)と冥府(地の王)を結ぶ柱であるということ。

根の堅州国(ねのかたすくに)葦原中国と繋がっているとされています。
葦原中国を平定したのはタケミカヅチ。葦原中国とは日本のことであり、タケミカヅチは天津神


人は(霊は)原型にあるように、天地を知ってようやく働くことが出来るのです。両極を知って中道を行くのが人であると考えます。そしてその時、その人が歩いた道によって行くべき所が采配によって決められるのです。
自らが蒔いた種は、然るべき場所において発芽する。

なぜ中道なのか?

天地を結ぶ役目はどちらにも傾けません。中間点、そこが居場所なのです。

クンダリニを使って通す者もいる。呪術、祭祀を使って通す者もいる。

イザナギとイザナミ、その仲を取り持った菊理媛。・・・・


私はある夜、反閇を教えて頂いた。
これは地鎮だとすぐ気づいた。
地鎮とは、地を浄めることの意味。

天からの賜り物は雷神のイカヅチ。雨雲。

冥道を清め、天道と繋げよ。陰と陽を繋げよ。柱を立てよ。

浄化和合。和合の前には嵐の浄化がある。



これは、個人個人の霊に語りかける言葉(コトノハ)、霊言。
天ばかり仰ぎ見る者、地にばかり入らんとする者、それぞれが両極を知れということなのでしょう。両極を知って初めて人の道となる。

地獄へ降りてみなさい、そこから這い上がってみなさい、その経験が無くては真の歓びなどわかるはずがない。地獄の様を見て、天の様も知る。
その経験から、己の器の小ささに意気消沈する。打ちのめされる。
天の王、神とは、冥府の王とは、何と偉大なのだと畏れ、呆然と立ち尽くす。

この道を知る者は、必ずや経験させられる。
経験無き者は、おそらくまだまだ遠い道。ご縁が無い。

これを知る者は、ただ黙って目立たず深く実行せよ。たった一人の働きが小さな渦になり、やがて大きな渦となる。天の渦、地の渦がひとつになり、大きな柱となる。それが神のおわす国、真の神国日本となる。これが真の天岩戸開き。


辛いものだと思う。この道を歩まれる方々は相当辛い思いをしておられる。
しかし、その一歩一歩が歴史に埋もれた人々と同じように、これからの歴史を創るための一歩。先人達は埋もれながらも糸(意図)を紡いできた。


糸(意図)を紡いでいた時代、突出した人物達が集中して生まれた。

彼等の生死は、わずか10年という短いサイクルで循環した。

両極の人物、それが菅原道真公弘法大師空海様だった。



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弘法大師空海様の謎 その2

  • 2011/07/11(月) 11:04:42

弘法大師空海様の謎。その2です。

Flood Mapsで5m水没させた四国東部
http://flood.firetree.net/?ll=34.0276,134.0593&z=7&m=5


この地図と四国八十八箇所の仏閣位置を照らし合わせてみました。

するとどうでしょう。
ほとんどこの水没地区を見事にはずして寺は建てられているのです。
特に阿波国府は精力的に寺を興しておられます。

skkmap1.jpg

「テーゲー館」様より地図拝借させて頂きました。ごめんなさい。
「テーゲー館」 http://www.geocities.jp/tehgueh/index.html


弘法大師空海様の時代、水没していた平野は新しく出来上がっていたはずです。

何を根拠に寺の位置を決めたのか、うっすらわかった気がします。

空海様がもし本当に結界を張ったのだとしたら、何を守るため?



古代四国の歴史、鉱脈、水脈、四国の元となる神々の時代、中央構造線。空海様が生まれる遙か以前の古代四国。
彼はこれを守り、隠したかったのだと思います。



四国の謎は空海様が辿ったルートの「中」にあります。

ここ徳島でいえば、西側。国府より西がキーとなります。古代阿波です。



その時代の寵児・スーパーESPであった空海様は、色々と感じ取り、この四国のルーツをご存知だったのでしょう。しかし平安時代のいわゆる現政権には逆らえず、天皇の命によって秘かに結界を張ったのではないでしょうか。何故なら、天皇側としては四国に表立ってもらっては困るから・・・

以降、四国は結界の中にあって誰も寄せ付けなかったのです。
誰にも知られることもなく葬られ続けてきたのです。
後世までそれを伝え、遍路でまわらせるのは「人」の力を借りて結界パワーを強力にできるから。・・・ではないでしょうか?



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弘法大師空海様の謎

  • 2011/07/09(土) 11:30:45

「天石門別八倉比賣神社へ御礼参拝 2011/07/07(木) 18:41:30 」で、その日神社の御由緒の看板を撮影していたとき、左隣で気配を感じたと書きました。

明かしてもいいかな?と思いましたので、その方の様子を書いてみましょう。


男性。

「久し振りだな」「よく来たな」


こんな内容を話してる声がかすかに聞こえた気がします。

おそらく心の中に響いてきたものだと思います。


ということは、天石門別八倉比賣神社天照大神様は男性なのでしょうか?
女性のふんわかした暖かな気とは違ってました。下鴨神社玉依姫様の気配を覚えていますが、女性神様とはまったく性質の違う「竹を割ったような気配」といった感じでしょうか。これは男性神様の気配であるに違いないと思うのですが。
もし、この感覚が間違いであるなら、神社をうろついている浮游霊なのかも知れませんが・・・(笑)


ここでふと思い出したことがあります。

この神社は徳島市国府町というところにあって、気延山御神体とされております。初めてここに「行け!」と怒鳴るように言われて、恐ろしさで背中に汗を流しながら必死で参拝に訪れたとき、ご近所のおじさんであろう方と色々お話しする機会があり、その昔の様子を伺いました。

この辺り、国府まで海があった、入り江だった、鳴門まで見通せた、など。
つまり、現在の徳島市は堆積物のお陰で出来上がった平野で、その海も開拓地として新たに作られた平野であるということ。古代、徳島市は海の底だったのですね。

徳島市中心部には城山があって、蜂須賀様はここにあった徳島城にご入城されたのですが、城山の下部に貝塚があり、現在も保存されております。

「Flood Maps」 http://flood.firetree.net/

Flood Mapsで、当時はどんな様子だったのか見てみました。天石門別八倉比賣神社で出会ったおじさんの話を元に、水没5mで国府町辺りまで水没させてみました。

徳島は四国四県の中で最も水没が激しく、これでは津波にはひとたまりもありませんね。・・・

城山に貝塚が残っているのは、水没5mでも城山はその高さから陸としてあったからでしょう。


ここでまた、ふと気付いたコトがあります。


弘法大師空海様。


彼は何もかもご存知だったはず。・・・水脈・鉱脈・歴史・神々の謎・・・


何故、Flood Mapsでそんなことに気付いたか・・・
偶然なのか必然なのか・・・

        (おっと、お仕事の時間。つづく・・・)



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